今日の試合速報

チケット購入はこちら

J’s GOALニュース

一覧へ

【J1:第5節 鹿島 vs C大阪】レポート:手堅い内容で鹿島が1-0の勝利をあげ、セレーゾ監督通算100勝、チーム通算1200ゴールを祝う(13.04.07)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
試合前、アウェイゴール裏に集まったセレッソ大阪サポーターから新井場徹へコールが起きた。すると、逆サイドのゴール裏に集まった鹿島アントラーズのサポーターがすぐにそれに反応する。新たな鹿島の左サイドバック、前野貴徳の名前を連呼したのである。鹿島というクラブにとってサイドバックは生命線。そのポジションで9年を捧げてくれた新井場への惜別と同時に、新たな才能を強く後押しすることを誓う瞬間だった。

しかし、序盤はC大阪のペースでスタートする。試合後は、「他のチームと比べてそんなに意識することはなかった」と照れ隠ししていた新井場だが、古巣との対戦であることを十二分に意識していたのだろう。積極的に高い位置を取って攻撃に絡む。さらにエジノ、柿谷曜一朗、山口螢、ブランコが流動的に動きまわり、鹿島の選手たちはなかなかマークを掴まえられず、押し込まれてしまうのだった。新井場や柿谷、山口らが入れ替わりサイドを突いて来ることに対応していた前野も「前半はあまり守備のところでも行けてなかった。前半はあそこを自由にさせてしまった」と振り返る。C大阪がすばらしい立ち上がりで試合に入るのだった。

だが、10分過ぎから鹿島の動きが安定感をグッと増す。
「青木さんと満男さんとの関係でもありますし、一人はボールにアタックしようという話もしてましたし、うまく受け渡しながらできたかな、と思います」
同じ左サイドに位置する青木剛、小笠原満男と連携を取り、どう対応するかを明確にしていったと前野は明かした。そして、その作業は左サイドだけでなく、中央でも、右サイドでも行われ、わずかな時間のなかで、相手の攻撃に対応して見せたのである。良い守備は良い攻撃に繋がる。ボール支配率で相手を上回るようになると、徐々にゴールへ近づくのだった。

とはいえ、C大阪も4試合でわずか2失点と守備が安定したチームである。中央でどんなパスでも受けてくれる大迫勇也がいないこともあり、攻撃のスイッチとなる縦パスがなかなか入らなかった。ところが、そうした展開とは全く無関係なところで試合が動く。58分、DFからのバックパスを受けたキム ジンヒョンが、ボールコントロールに失敗し、ダヴィに奪われてしまうと、サポートに入った遠藤康がゴール決め、鹿島が待望の先制点を奪った。鹿島にとってはこれがリーグ通算1200得点というメモリアルゴール。決めた遠藤は翌7日が誕生日ということもあり、ダブルで嬉しい前祝いとなった。

その後、C大阪は南野拓実、杉本健勇を投入するも鹿島のゴールを割ることができずにタイムアップ。足踏み状態が続いていたトニーニョ・セレーゾ監督のJ1通算100勝も達成。守備面で相手にほとんどチャンスをつくらせずに1−0で逃げ切る勝利に、選手からも「今日は鹿島らしいというか、相手の隙を突いて1点取って、しっかりゼロで試合を終わらせるというのが、ようやくできた試合」(青木)という声も聞かれた。セレーゾ監督が理想とする守備にかなり近づいている手応えを感じた勝利と言えるだろう。

試合後、スタンドに向けて一礼した選手たちが健闘を讃え合う。するとC大阪の最後尾に並んだ新井場のもとに、数多くの鹿島の選手たちが駆け寄り声を掛けていく。この日、セレーゾ監督は今年で34歳になる本山雅志を先発させ30歳を過ぎるとすぐにベテランという括りで扱う我々マスコミに釘を刺しているが、新井場も本山と同じ79年組のひとりである。本山のプレーも見事だったが、新井場も未だにリーグ屈指のSBであることを示した。

新井場はセレッソサポーターへの挨拶が終わると、鹿島サポーターの待つホームゴール裏に足を向けた。スタンドに拍手を送り、さらに指を指したあと、自分の胸を何度も叩く。その光景にホームゴール裏が赤い波となって応える。大きな温かい拍手がスタジアム全体を包み込んだ。
「あれだけしてもらったら応えなあかん」
あまり目立つことは好まない新井場が、そこまでしてでも伝えたいものがあった。
だが、プロフェッショナルの鑑はいつまでも感傷に浸っていなかった。
「セレッソはほんまに良いチーム。伸びしろはまだまだある」
5月にはヤマザキナビスコカップでの対戦がある。そのときまでに、お互いさらに成長した姿を見せたい。

以上

2013.04.07 Reported by 田中滋
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

旬のキーワード

最新動画

詳細へ

2025/12/19(金) 12:00 Jリーグ審判レポート(シンレポ!)#19『現役選手が本音で語る!2025年のレフェリング総括!』