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ファンが選ぶ、記憶に残るJリーグのVゴールTOP10。歓喜、感涙、そして悲嘆…。

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2019年10月4日(金) 16:00

ファンが選ぶ、記憶に残るJリーグのVゴールTOP10。歓喜、感涙、そして悲嘆…。

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ファンが選ぶ、記憶に残るJリーグのVゴールTOP10。歓喜、感涙、そして悲嘆…。
『Vゴール』に隠されたさまざまなストーリーをここで紹介していきます!

Jリーグ公式YouTubeチャンネルにてアンケートを実施した、「ファンが選ぶ、記憶に残るVゴールTOP10」。皆さまからの投票、ご意見を集約し、TOP10が決定しました。

『Vゴール方式』とは、J2で2001シーズンまで、J1で2002シーズンまで採用されていたレギュレーション。90分で勝敗が決せず延長戦になった場合、どちらかのチームが得点した時点で試合終了となり、得点をあげたチームを勝者としていました。必然的に『Vゴール』は劇的なものが多くなりました。このランキングを楽しむ上でも、『Vゴール』に隠されたさまざまなストーリーをここで紹介していきます。

 

第10位 フェルナンド選手(当時福岡)
1998年11月19日
J1参入クラブ決定戦1回戦 福岡対川崎F(博多の森)

計5チームにより争われ、そのうち3チームがJ1参入を決めるというレギュレーションで行われた1998年のJ1参入決定戦。1回戦は、97年と98年の順位ポイントの合計で最下位だった福岡と、JFL2位の川崎Fのカードとなった。負ければJ2降格という危機の中、リードされていた福岡が89分に山下 芳輝のゴールで追いつき延長戦に突入。最後はフェルナンドがVゴールを決めて、逆転でJ1残留に望みをつないだ(最終的に福岡は残留)。
アンケートでは「まさに死闘となった一戦であり、福岡サポーターの間では『神をみた夜』と呼ばれ、語り継がれている」「唯一の一発勝負のしびれる試合でのゴールは20年以上経った今でも強烈に覚えている」などの意見が集まり、多くの人々の印象に残るゴールとなっている。
一方の川崎Fは、勝利を目前にしながら一歩及ばず、この年のJリーグ入りは叶わなかった。

第9位 福田 健二選手(当時FC東京)
2002年11月24日
J1 2nd第14節 FC東京対浦和(東京ス)

FC東京が押し気味に試合を進めたものの得点は生まれず、延長戦も終盤を迎えていた。しかし迎えた118分、FC東京はゴール前でFKのチャンスを得ると、キッカーの宮沢 正史が左足で直接ゴールを狙う。そのシュートは左ポストを直撃したものの、跳ね返りを福田 健二が押し込み、熱戦に終止符を打った。
この年、わずか1得点と苦しんでいた福田だったが、その鬱憤を晴らすように歓喜を爆発させてゴール裏へ。しかし……。後に本人が「溝に落ちたのをよく覚えている」と振り返ったように、スタンドとピッチを隔てた溝へ落下してしまう。そこにかかっていた横断幕によって大事には至らなかったものの、この一件により、スタジアムには防護ネットが張られるようになったという。
「ゴールの時には歓喜でもみくちゃで、あとで誰がゴールしたのか知りました。うれしさしか覚えていない」という意見があるように、福田だけでなくFC東京サポーターも、我を忘れるほどの歓喜を味わったようだ。

第8位 永島 昭浩選手(当時神戸)
2000年11月26日
J1 2ndステージ第15節 神戸対京都(神戸ユ)

2000年シーズンの最終節は神戸にとって特別な一戦だった。この年限りで引退することを表明していた永島 昭浩の現役ラストマッチとなったからだ。クラブのレジェンドのラストゲームを勝利で飾りたい神戸だったが、前半は1-1で終了。しかし後半からピッチに立った永島が、最後の輝きを放った。1-1で迎えた延長前半1分、見事にVゴールを叩き込み、自らのラストマッチに花を添えた。
「現役最後の試合で自ら花道を飾るなんて半端なくかっこいい!」という回答が多かったように、現役ラストマッチで決勝点を決める選手など限られているだろう。
Jリーグで日本人初のハットトリック達成者は、G大阪、清水でプレーしたのち、1995年に神戸に加入。地元クラブをJリーグに押し上げた立役者だった。
ちなみに永島の決勝点をアシストしたのは元韓国代表の河 錫舟。対戦相手の京都には遠藤 保仁、松井 大輔、朴 智星、三浦 知良ら豪華メンバーが在籍していた。

第7位 浦田 尚希選手(当時川崎F)
2000年5月27日
J1 1st第15節 C大阪対川崎F(長居)

C大阪の1stステージ制覇が目前に迫った試合で、その野望を打ち砕いたのは川崎Fだった。
この時、川崎Fは最下位に沈んでおり、C大阪のステージ初優勝が有力視されていた。しかしプレッシャーから堅さの見えるC大阪の選手に対し、川崎Fの選手たちは終始アグレッシブなプレーを披露。そして1-1で迎えた延長後半の106分、浦田 尚希が豪快な一撃を叩き込み、C大阪の夢は砕け散った。
ゴールを決めた浦田はこのシーズンわずか1得点しか挙げていなかったものの、大きな注目を集めたこの一戦で値千金の決勝ゴールをマーク。しかも左足ダイレクトボレーという、スーパーゴールだった。
「ゴールの美しさと、静まり返る長居スタジアム(当時)が印象に残る」とゴールそのもののクオリティを称える声がある一方で、「長居の悲劇。セレサポにとっては忘れられないゴール」と、そのシチュエーションのインパクトも大きく、対戦相手のC大阪サポーターにとっても忘れられないゴールとなっているようだ。

第6位 福西 崇史選手(当時磐田)
2002年11月23日
J1 2nd第14節 磐田対東京V(磐田)

「Jリーグ史上初となる完全制覇を決めたゴールだから」という意見が、このゴールの価値を言い表しているだろう。
2002年の磐田は、勝率9割という圧倒的な強さを見せていた。1stステージを優勝しただけでなく、2ndステージも制覇。Jリーグ史上初めて完全優勝を成し遂げたチームとなったのだ。
中山 雅史と高原 直泰の2トップをはじめ、各ポジションに日本代表クラスのタレントを備えた陣容は、まさに最強の名にふさわしいものだった。「N-BOX」と呼ばれた名波 浩を中盤の中央に置くシステムも、磐田の強さを象徴するものだろう。
そして優勝を決定づけた福西 崇史のゴールも印象的。かつてはストライカーとしてならした日本代表ボランチの、見事な一撃だった。

第5位 ストイコビッチ選手(当時名古屋)
2001年7月14日
J1 1st第14節 名古屋対広島(瑞穂陸)

現役引退を決めていたストイコビッチのホームラストゲーム。広島を迎えた一戦は、2-2のまま延長戦に突入した。96分、名古屋はPKのチャンスを得る。キッカーはストイコビッチだった。「引退を決め、ホーム最終戦でしっかりVゴールを決める持ってる男ピクシーにしびれた!!」。妖精(ピクシー)の愛称をもつレジェンドが8年間を過ごした名古屋の地で見られる最後の公式戦で、勝利を決めるPKを冷静に沈めた。
「PKを蹴る直前の一瞬の静寂からの大歓声、今でも忘れられない」「僕自身は生まれてなかったけど、父から聞いたサッカーの話の中で一番感動したものだったから」など、Jリーグ史に名を刻む偉大なプレーヤーのこのゴールは、多くのファンの記憶に残っているものだろう。

第4位 土橋 正樹選手(当時浦和)
2000年11月19日
J2 第44節 浦和対鳥栖(駒場)

この年、J2でのシーズンを過ごすことになった浦和は、1年でのJ1復帰を目指したものの、大いに苦戦。札幌に独走を許し、残されたもうひとつの昇格枠を、大分と争うこととなった。
最終節を前に、勝点80の浦和に対し、大分は勝点78。勝てば昇格が決まる状況だったものの、鳥栖を迎えた一戦は後半に退場者を出したこともあり、90分を終えて1-1となり延長戦に突入した。この時点で、他会場の大分はすでに勝利しており、浦和が引き分けのままで終われば得失点差で、大分に順位を逆転されてしまう。勝つしかない状況に追い込まれた浦和だったが、延長前半の95分、阿部 敏之の蹴ったFKが壁に当たって跳ね返り、土橋 正樹のもとへ。土橋は冷静なトラップから左足を振り抜き、鮮やかな一撃をゴールネットに突き刺さしたのだ。
1年前、「悲しいVゴール」で降格の憂き目に遭った同じ地で、今度は「歓喜のVゴール」が生まれた。

第3位 曽田 雄志選手(当時札幌)
2002年11月30日
J1 2nd第15節 札幌対広島(札幌ド)

元々FWだった曽田 雄志は、2002年に入ると、DFとしての出場も増えていた。しかしチームは不調が続き、早々にJ2降格となってしまった。苦しんだシーズンの最終節、この日はFWとしてピッチに立った曽田が大仕事をやってのける。自身初のハットトリックをVゴールで達成したのだ。しかもこのシーズンでVゴールが廃止となることが決まっていただけに、「最後のVゴール」としても話題に。また対戦相手の広島をJ2降格に追い込むゴールであったことも、人々の記憶に残る一撃となった。
「すでに降格の決まった札幌と、この試合に降格のかかった広島との激しい点の取り合い。伝説の試合」「Jリーグ最後のVゴール。本人唯一のハットトリック。広島もJ2降格」。
いくつもの意味が備わった、印象的なVゴールだった。

第2位 小笠原 満男選手(鹿島)
2001年12月8日
チャンピオンシップ 第2戦 鹿島対磐田(カシマ)

2ndステージを制した鹿島は、1stステージ覇者の磐田とチャンピオンシップを戦った。アウェイでの第1戦を2-2で終えて迎えたホームでの第2戦。当時はアウェイゴールルールがなかったため、第2戦を0-0で終えると、そのまま延長戦に突入した。
そして延長前半の100分、鹿島はゴール前でFKのチャンスを得る。キッカーは小笠原 満男。2ndステージ優勝の原動力となった若き司令塔は、壁の外を巻く鮮やかなFKを蹴り込み、名手・ヴァンズワムが守る磐田ゴールを陥落した。
「Jリーグ2連覇を決める直接FK。ヴァンズワムとの駆け引きに勝った」「他サポだがチャンピオンシップということと、決めたあと倒れたシーンがとても印象的」などの意見が集まり、プレッシャーがかかる状況下で高い技術とメンタルの強さを示した小笠原の凄さを物語るVゴールだった。

第1位 福田 正博選手(当時浦和)
1999年11月27日
J1 1st第15節 浦和対広島(駒場)

最も票を集めたのは“史上最も悲しいVゴール”といわれる福田 正博のゴールだった。
広島をホームに迎えた一戦。この年、低空飛行を強いられた浦和だったが、最終節で90分以内に勝利すれば、残留が決定する状況だった。しかし、チャンスを作りながらも決めきれず、スコアレスのまま延長戦に突入。この時点で他会場の結果により、J2降格が決定した。
失意の中で迎えた延長戦。結果に関わらず、降格の事実は変わらない。それでも、浦和の選手たちは勝利を追い求め、ゴールを目指し続けた。そして迎えた106分、小野 伸二のショートコーナーを受けたペトロヴィッチがクロスを上げると、これを福田が合わせて勝利を決めた。しかし、福田は喜ぶことはなく、状況を理解せずに抱きつきにきた池田 学を振りほどき、うつむいたまま、涙に暮れた。
「J2降格が決まったあとの涙のVゴール。残酷で忘れられない」「Vゴールで喜べない。その悲しさに尽きます」「集中力を切らせないために新人の池田には結果を知らせなかったところが悲しい」。多くのファンの心に強く残る、あまりにも残酷なVゴールだった。

 

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