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2019 明治安田生命Jリーグ終盤戦特集
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2019年11月14日(木) 19:20

関東1部リーグからJ1の舞台へ:朴一圭の成長物語【前編】

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関東1部リーグからJ1の舞台へ:朴一圭の成長物語【前編】
11月12日現在、J1優勝争いを演じている横浜F・マリノスのGK、朴 一圭。彼がどのようにして現在の立場まで上り詰めたのか。「知られざる、あの選手の成長物語」。今回は今季から横浜F・マリノスに加入し、レギュラーポジションをつかんだ朴 一圭選手のストーリーを紹介しよう。前編では、バスケ少年がプロサッカー選手になるまでの紆余曲折を振り返る

畠中 槙之輔は自身の“出世街道”について問われると、笑いながらこう言い放った。「僕なんて大したことはないですよ。ウチにはもっとすごいのがいますからね」。

畠中は昨季途中までJ2の東京ヴェルディでプレーし、その後、横浜FMに加入。J1挑戦1年目はレギュラー奪取には至らず、今季も開幕前まで控え組でプレーしていたが、開幕スタメンの座を勝ち取ると今季3試合、J1通算わずか8試合の出場で日本代表に選出された。ほかの選手にはなかなかない、十分にすさまじいステップアップだ。そんな畠中に「僕なんて大したことはない」と思わせる。それが朴 一圭だ。彼が歩んできたキャリアとは――。

バスケットボールをやっていた両親の影響で、朴 一圭は幼少期から目の前にバスケットボールがあるような生活を送っていた。生まれて最初の記憶を辿ると、そこにもバスケットボールが絡んでいた。

「両親がバスケットボールの試合の運営に関わっていたので、そこにくっついてバスケットボールを見に行っていた記憶があります。お父さん、お母さんのおかげで、周りのバスケットボール関係者にもちやほやされていました(笑)」

だから自身もバスケットボールをやっていくものだと思っていた。時は小学4年生、学校で部活が始まるタイミング。その瞬間まで、バスケットボール部に入るつもりでいた。自分も、両親も、周りの誰しも、彼がバスケットボール部に入るものだと思っていた。

「でも、当時仲が良かった友達がみんなサッカー部に入っちゃったんですよ。『やべえ』って(笑)。本格的に部活が始まるまで、サッカーも休み時間とかにやってはいたんですけど、バスケの方が楽しいと思っていました。それでバスケと友達のどっちを取るかを悩んで……友達を取りました(笑)。今思えば、自分でもなんでサッカーに行ったんだろうって」

だからサッカーを始めた頃は将来プロになりたい、なれるなど思うはずもなかった。それでも、入部1日目で惹かれたものがあった。すぐ練習に入るのではなく、初日は部活を見学しながら説明を受けた。そこで目にしたシュート練習。朴 一圭はシュートを決める選手ではなく、止める選手に目を奪われた。

「小さい人だったんですけど、バシバシシュートを止めていたんですよ。だからすぐ『GKやりたい!』って」

こうして始まった朴 一圭のサッカー人生だったが、中学に上がる際にはどの部活に入るか、あらためて決めることになる。当然、バスケットボールに戻る選択肢もあった。しかし、その頃にはもう、サッカーに、いやGKにのめり込んでいた。

「サッカーというか、止める楽しさを覚えたんですよね。当時から足元もある程度は自信がありましたが、シュートを止めてみんなが『うわー!』って言ってくれるのが気持ち良かったんだと思います。相手が絶望感にひたる感じ。『それ止めるの!?』みたいな。そういうのって何時間も盛り上がるんですよ。ご飯を食べている時もずっとそんな話をしたり。『パギとの1対1は入らないよ』って言われたり。それがうれしかった」

好きこそものの上手なれ。そうしてバスケットボール以上に惚れ込んだGKに打ち込むと、結果もついてきた。

「大会でも結果が少しずつ出るようになって、もう少し高いレベルでやりたい、自分に向いているかもしれない、と思えるようになりました。だから中学に上がる時にはサッカー一択しかなかったです。中学校に上がるタイミングで『もっとうまくなりたい』という気持ちが大きくなっていました。だから部活でも良かったんですけど、よりレベルが高いクラブチームに入りました。小学校で一番うまかったやつがそのクラブに行くことになって、『お前も行かないか?』と誘ってくれたことがきっかけになりました」

HAN FCで中学3年間のサッカー生活を過ごし、東京朝鮮中高級学校に進学して部活に戻る。そこで先輩たち、卒業生たちがプロの世界に進んでいることを知った。そしてプロとしてサッカーで生活したい、プロになるためにはどうすればいいのか、と明確に考えるようになった。

「いまの学校にいてもプロになれるんだ、ということで自分もなりたいと思うようになりました。でもJ1なんて到底無理だと思っていました。高校サッカーではある程度はやれているなと思っていましたが、周りがうますぎて。今ではメンタルが強いとか堂々としているとか言われることもありますけど、もともとは小心者というか“ビビリ”なんですよ。だからチャレンジするのが怖かった。ミスすることが嫌だったんです。だから思い切りの良さもなくて、やれることしかやらない。周りを見ればうまいし、ミスしても平気な顔でやっている。だから僕みたいなヤツがJ1なんて無理だって」

それでも高校の卒業を控えて周囲が進路を決めていく頃、当時J1だった甲府のセレクションを受けることになった。しかし、そう簡単に事は進まなかった。

「当時は大学生も社会人もいたんですよ。でも18歳の僕は何もできなかった。プレー以前に気持ちが負けていました。そこで高卒でプロは無理だって。周りには『高卒でプロになるんだ』って言っていたんですけど、心では『無理だ』と感じていました」

ただ、それを単なる挫折で片付けるつもりもなかった。

「だから大学に進んで力をつけてから挑戦しようと思いました。将来のビジョンをしっかり持って、『ここでは無理だ。次のステップにいこう』って。悔しかったけど、自分の立場は分かっていたつもりです。やれると思っていたけど、うまいとは思っていなかった。でも、それは伸びシロだなって思っていたんです。大学に行って頑張ろうって」

そして朝鮮大学で4年間、力をつけ、再びJの舞台に挑戦する。大分、鳥取、横浜FC、草津(現・群馬)。4つのJ2クラブのセレクションを受けることになった。どのクラブもGKを探していた。しかし……。

「どこも大学生の特別指定選手がいたんですよ。大分には今は東京Vでプレーしている上福元(直人)、鳥取は今、藤枝で正GKを務めている杉本 拓也。横浜FCには四日市中央高校を卒業した村井 泰希がいて、よければ取るけどどうしても、というわけではありませんでした。草津は正GKしか探していなかったし、もうひとり北 一真さんという190cm以上ある選手がいた。枠の問題もあるし、(特別指定選手は)フロントが欲しがっているタイプで、サイズの問題でもうダメでした」

結局、セレクションで参加したチームの加入、大学卒業でプロになる夢も叶わなかった。

「これはやれないな、って思いました。ちょっとキツいなって。一番良いプレーができたのは大分だったんですけど、上福元が良い選手だった。他のチームのセレクションはまるでダメでした。入れば順応できると思ったんですけど、まずスタートラインに立てない」

それでも諦めなかった。JFLも複数チームのセレクションの受け、藤枝MYFCへの加入が決まった。創設3年目、JFL1年目の新興チームが朴 一圭の社会人キャリアのスタートになった。その後、藤枝で1年、FC KOREAでの1年を経て、J3に参入した藤枝に戻ることになる。

藤枝に戻ったことについて、単なる復帰だと思う人もいるかもしれない。そう報じられることもあった。だが、事実は違った。

「最初は練習に参加するだけでした。地域リーグ(当時のFC KOREAは関東1部)にいると、練習参加すらも難しいんですよ。だからほとんど断られましたし、やっと見てもらえるところが藤枝でした。まずセレクションをして、一発で決まった選手もいましたけど僕はそうではなかった。何人かは『練習を見て決めさせてほしい』ということで、僕はそっちでした。10日ぐらいかな? お金もかかるし、まだ僕が在籍していた時にプレーしていた選手もいたので家に泊めさせてもらいながら必死にプレーしました」

自身が所属していた当時からたった1年が過ぎたに過ぎなかった。ただ、JFLとJ3の決定的な違いを目の当たりにする。

「練習参加した時のボールが、Jリーグの公式球だったんですよ。そこでグワーって体が熱くなるような感覚になりました。『ここで絶対にプレーするんだ』って、死ものぐるいでプレーしました。Jがつくカテゴリーでサッカーがしたい。鳥肌が立ったし、アドレナリンが出てくるのが自分でもわかりました。『ここが勝負どころだ!』っていうエネルギーが沸いてきたんです。あのエネルギーはもうそうそう出てこないですね」

そして、その期間に得た“勲章”がある。それは声だ。

「この声になったのはその時のせいなんですよ。のどがつぶれちゃって。それまではもうちょっと滑らかな声だったんですよ(笑)。藤枝のセレクションの時に声をめちゃめちゃ出した。でも、それが評価されたんです。うまいとか下手とかじゃなくて、苦しい時も声を出して、闘志を前面に出す。そうすることで監督に『こういう選手も必要だ』と思ってもらえました」

ここで拾ってもらえなければ先はない。必死だった。単に自分のプレーを見せるだけではなく、どうすれば評価してもらえるのかも考えた。その一つが声であり、気持ちだった。

「自分がうまい選手ではないことは分かっていました。それでも試合に出ている選手は結構いる。なんでそういう選手がプロで試合に出られているのか。そう考えると、やっぱりハードワークだと思ったんです。戦うとか、気持ちの部分。そういうものを前面に出す選手はチームに絶対に必要とされると感じていました。そこを出せば目につくんじゃないかと思いました。もともと声を出す選手ではあったんですけど、より意識的に出したことが功を奏したんだと思います。プロになることもそうですし、こうすれば長くサッカーができるんじゃないかっていう確信を得られた瞬間でもありました」

声を潰したことは無駄にならなかった。無事に藤枝に加入すると2年間、正GKとしてプレー。そして2016年、同じくJ3初年度の2014年から参加していたFC琉球に移籍することとなる。朴 一圭にとっては、初めてクラブ側からもらったオファーだった。

Text by:菊地正典
Photo:星智徳
取材日:10月28日
《後編に続く》

 

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