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【後編】二度の大怪我に浪人生活……。三幸 秀稔(湘南ベルマーレ)が歩んだ壮絶なサッカー人生【ターニングポイント】

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2021年5月6日(木) 10:00

【後編】二度の大怪我に浪人生活……。三幸 秀稔(湘南ベルマーレ)が歩んだ壮絶なサッカー人生【ターニングポイント】

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【後編】二度の大怪我に浪人生活……。三幸 秀稔(湘南ベルマーレ)が歩んだ壮絶なサッカー人生【ターニングポイント】
三幸 秀稔を変えた霜田監督との出会いとは?

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1年間の浪人生活を経て、レノファ山口FCとの契約を勝ち取った三幸 秀稔だったが、山口での生活は当初、楽なものではなかった。満足のいく報酬は貰えず、移動のための車もない。寮の部屋には一組の布団が置いてあるだけだった。

練習場への送り迎えは、親友の小池 龍太がやってくれた。練習場から離れた場所にある治療施設にも、小池がわざわざ車で連れて行ってくれた。

生活は苦しかったが、選手としては着実に実績を積んでいく。加入1年目の2016年は36試合に出場して3得点をマーク。2年目は怪我で離脱した時期もあったが、21試合・1得点の成績を残した。

もっとも2年目のシーズン残り5試合でメンバー外になったことが、三幸には引っかかっていた。

「山口に来てからは怪我以外でメンバー外は久しぶりだったので、なんとなく環境を変えたいと思うようになって。もちろん拾ってくれた山口に感謝の想いもありますし、フロントも残ってくれと言ってくれた。それでも1回離れようと考えていた時、新しい監督にシモさん(霜田 正浩)が就任することが決まったんです」

この霜田監督との出会いこそが、三幸にとってキャリアにおけるターニングポイントとなる。

「まだ就任前だったのに、シモさんは僕と話したいと、わざわざ山口市にまで来てくれたんです。それで、お前の思っていることを全部言っていいぞと」

もう移籍しようと思っていた三幸は、思いの丈を新監督にぶつけた。

「パスサッカーを目指すという監督で、最後までやり通す監督はほとんどいないじゃないですか」

「リスクを負ったプレーを危ないから辞めろと言われたら、パスサッカーなんてできなくないですか」

「サッカーなんて、ゴールに入れれば何でもいいと思っています」

三幸は自分のサッカー観を、偽りなく霜田監督にさらした。一通りしゃべり終えると、霜田監督から「言いたいことは、それだけか」と言われた。そして、「次は俺が話をするから」と続け、こう話し始めた。

「俺はお前を中心にしたいと思っている。42試合すべてに使いたいと思っているから、サッカーに人生のすべてを懸けるんだ」

三幸は驚きを隠せなかったが、霜田監督の目は本気だった。「この人なら、信用できるかも」。そう思った三幸は、山口残留を決めた。

正式に山口の監督に就任した霜田監督が、まず選手たちに求めたのは「体脂肪12%以下」だった。

三幸はそれまで体脂肪など意識したことはなかったが、測ってみると15%で基準値を超えていた。他の選手のほとんどもオーバーする状況で、霜田監督「サッカー選手としてあり得ない」と、意識改革を求めた。

また三幸は、霜田監督からキャプテンに任命され、リーダー学を徹底的に叩き込まれた。

「シモさんに言われたのは、キャプテンというのはどんな時もピッチに立っていなければいけない。42試合ピッチに立っているのが、キャプテンだと。だからコンディションを整えろ。俺は良かろうが、悪かろうが、お前を使おうと思っているし、使いたいと思っている。だから常に良い状態に持って来いと。それがサッカーに人生を懸けていることじゃないかって」

キャプテンとして全試合に使ってもらう選手が、体脂肪が15%でいいわけない。「キャプテンならいいのか」と他の選手に思われたらチームが上手くまとまるはずがない。先頭に立っていく立場として、見せなければいけないものがあるんじゃないか。そう考えた三幸は、食生活を見直し、肉体改造に取り組んだ。

忘れられない霜田監督の言葉がある。

「辛い時、苦しい時に、自分の後ろに何人ついてきているかがお前の歩んだ道なんだ。上手く喋れなくても、見本になれなくても、そうなった時に何人がついてきているか。それは日々積み上げていくしかないものだし、崩れるのも簡単。先頭を歩いている人が右に左にブレながら歩いていたら、後ろの人も全員さまようよ。はぐれなくていい人までが、はぐれてしまう。だから、まっすぐ歩きなさい」

サッカー選手としてだけではない。人間として、男として、何が必要で、なにをやるべきか。霜田監督の下で様々なことを学んだ三幸は、キャプテンとしての立ち居振る舞いを自然と身に付けていた。

霜田監督の出会いにより、三幸はチームのリーダーとしての立ち居振る舞いを身に着けていった(写真は2019年撮影)
霜田監督の出会いにより、三幸はチームのリーダーとしての立ち居振る舞いを身に着けていった(写真は2019年撮影)

「自分が出た試合だけじゃなくて、メンバーを外れた選手の練習や練習試合も全部見ました。直接見れない時も、映像で確認しました。僕をキャプテンとして信頼してくれる仲間やスタッフがいる。彼らと話をするときに、その選手がどういう状況なのかを把握していないと、伝えられないじゃないですか。だから、僕はすべてを見ました。自分が調子を上げることはもちろん、チームをどう動かしていくか。そこを両立させたかったし、そうする責任があったと思います」

求められたことはすべて100%の力でやり切った。例えばコンディションを管理するアプリも、サボることなく毎日記入し続けた。

「体脂肪と同じで、何も突っ込まれたくなかったんですね。キャプテンだから出ているとか言われたくなかったし、チームでやらなければいけないことを100%やってなおかつ、コンディションを良くして試合に出る。そういう過程を踏まないと信頼されないと思うんです。言われたことはすべてパーフェクトにやる。これは選手としてだけじゃなく、人として生きていくうえでも同じこと。言われたことをどう受け取って、どう行動するかで、どれだけの差が生まれるのか。そこはシモさんの下で気付けた部分だし、考え方が大きく変わりましたね。すべてを100%で取り組む。それがサッカーに人生を懸けていることだって」

そうした想いでサッカーに向き合った三幸は、この2年間、1試合の出場停止を除いてピッチに立ち続けた。そして2020年に湘南ベルマーレからのオファーを受け取る。

霜田監督の言葉どおりピッチに立ち続けた三幸(写真は2019年撮影)
霜田監督の言葉どおりピッチに立ち続けた三幸(写真は2019年撮影)

「2年間、それを継続できたからこそ、J1のチームから呼んでもらえたんだと思います」

大きく遠回りしたキャリアだったが、三幸はついにJ1の舞台に返り咲いたのだ。

もっとも湘南に移籍1年目の2020シーズンは、わずかに4試合の出場に留まった。

「去年はまた試合に出られなくて、すごく悔しかったですし、なんで?と思う気持ちもありました。でもシモさんの下で考え方が変わったからこそ、腐ることなく1年間やり通せたと思います」

霜田監督には「チームの勝利が一番」だとずっと言われ続けてきた。調子が良かろうが、悪かろうが、ミスをしようが、チームの勝利が最優先。個人のことは二の次に過ぎない。

「もし去年、個人のことを先に考えていたらチームのためにならない発言が先に来ていたと思います。チームもなかなか勝てなかったし、苦しい状況だったので、使ってほしいという気持ちも当然ありましたけど、それでもやり続けられたのは山口での経験があったから。もちろん周りの人たちの手助けもあって、気持ちを保てた部分も間違いなくありました。けど、そうやって気に留めてもらえたのも、自分がそういう立ち居振る舞いをしてきたからだと思うんです。昔だったら、自分がやりたいようにやるだけで、周りから相手にされなくなっていたと思う。チームのことを先に考えて行動してきたからこそ、手を指し伸ばしてくれる人がたくさんいたんだと思います」

悔しい1年を経て今季、三幸は少しずつピッチに立つ機会が増えている。そのなかで結果を出して評価を高めたい意識も当然あるが、「チームの勝利のため」にという優先事項は揺らぐことはない。

紆余曲折を経てJ1に戻ってきた三幸は「チームの勝利」のためにピッチに立ち続ける
紆余曲折を経てJ1に戻ってきた三幸は「チームの勝利」のためにピッチに立ち続ける

振り返れば、人に助けられたサッカー人生だった。父、JFAアカデミー福島のスタッフ、佐々木 翔、城福 浩監督、祖父、加藤 順大、小池 龍太、そして霜田 正浩監督。他にも多くの人たちの手助けがあって今がある。だから三幸は、思うのだ。

「自分の意志でサッカーを辞めるのは違うのかなって。つないでもらったサッカー人生なので、やれるところまでやり抜いて、燃え尽きましたと言えるようなサッカー人生にしたいですね」

三幸の座右の銘は「謙虚」だという。

「小学校の卒団の時に、監督がくれた言葉です。『お前はプロになれると思うけど、そのなかで謙虚な姿勢を持ち続けられるようにこの言葉を送ります』っていう手紙をもらって。正直、その時は『謙虚ってなんだろう?』って感じで。プロになってからも、分からないなりに座右の銘に『謙虚』と書いてきたんですけど、この歳になってになってようやく、理解できてきた気がします。謙虚な人って、たぶん謙虚が気にならないんですよ。意識することなく、謙虚に振る舞える。それが一番大事なんだと思います。山口でキャプテンをやるなかで、そういう考えを植え付けてくれた霜田監督には本当に感謝しています」

人につないでもらったサッカー人生を、三幸はこれからも謙虚に歩み続ける。

 

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