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【前編】自分は特別じゃないと感じた凄すぎる同期と神様との出会い【ターニングポイント:島川 俊郎編】

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2021年8月11日(水) 08:30

【前編】自分は特別じゃないと感じた凄すぎる同期と神様との出会い【ターニングポイント:島川 俊郎編】

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【前編】自分は特別じゃないと感じた凄すぎる同期と神様との出会い【ターニングポイント:島川 俊郎編】
紆余曲折を経て現在活躍する選手の人生物語に迫るインタビューシリーズ「ターニングポイント」。第3回目はサガン鳥栖の島川 俊郎にスポットを当てる

元々は野球選手になりたかったという。しかし、置かれた環境がその夢を早々に諦めさせた。

「小学校に野球部がなくて、友達は大体サッカー部に入っていたんです。それで夏休みに遊ぶ相手がいなくなってしまって、一度サッカー部の練習に参加してみたんです。そしたら面白くて、その日の夜にすぐにサッカーを始めたいと母親に伝えました」

運命とは、得てしてそういうものなのかもしれない。小学校2年生の時にひょんなきっかけでサッカーと出会った島川 俊郎は、将来、そのスポーツを生業とすることになるのだから、人生とは不思議なものである。

島川が育ったのは千葉県市川市。サッカーの盛んな地域の少年団でメキメキと上達し、市の選抜チームに選ばれるようになる。そこでも図抜けた能力を示した島川は、さらに千葉県のトレセンにも選出されるほどの実力を手にしていた。しかし、ここで出会ったのが、別格の上手さを誇った柏レイソルジュニアの選手たちである。

「工藤(壮人)とか、酒井(宏樹)とか、指宿(洋史)とか、比嘉(厚平)とか、すごい選手たちの集まりでした。僕も地元では上手いほうでしたけど、県選抜ではとにかく、ついていくので必死でしたね」

スペインで行われた大会で優勝するほどの実力を備えていた千葉県選抜チームは、まさにタレントぞろい。なかでも島川が圧倒されたのが、比嘉 厚平だった。

「あの中でもぶっちぎりでしたね。速くて、強くて、上手い。同い年でこんな選手がいるのかと、本当に驚かされました」

衝撃的だった県選抜のチームメイトとは、中学で再会することとなる。島川も柏のアカデミーに加入することになったからだ。

「当時、千葉県選抜の18人に入れば、レイソルかジェフのアカデミーに入る流れでしたね。確かあの時も、18人中12、3人はレイソルに入ったと思います。僕も何度か練習に参加させてもらって、入ることができました」

もっとも柏U-15では、自身の実力不足を痛感することとなる。比嘉をはじめとする“スーパーな”選手たちの中で、島川は自分の立ち位置をすぐさま認識させられた。

「中1、2くらいの時から自分は特別じゃないと感じていました。自分はスーパーな人間ではない。自分の代わりはいくらでもいる。中3の時は代表にも選ばれましたけど、自分の価値はそんなに高いものではないというのは、その時から認識していました」

だからU-15からU-18に上がることが決まった時も、「嬉しいというよりも、危機感のほうが強かった」と振り返る。

それでも危機感を持ち、ひたむきな姿勢でサッカーに取り組んだ島川は、ハイレベルな環境で揉まれ、着実に成長を遂げていった。

工藤 壮人、酒井 宏樹といった錚々たる面々が同期におり、「自分は特別じゃない」と悟ったという島川
工藤 壮人、酒井 宏樹といった錚々たる面々が同期におり、「自分は特別じゃない」と悟ったという島川

仲間の存在だけではない。柏のアカデミー時代には運命を変える指導者の出会いがあった。

「吉田 達磨さんですね。同期にすごいメンバーが揃っていたことも大きいですけど、それ以上に達磨さんに出会えたことが、一番大きかったです」

現在はシンガポール代表監督を務める吉田が、柏のアカデミーコーチとなったのは現役を退いた翌年の2003年のこと。島川のU-15加入と同じタイミングだった。以降、島川は6年間に渡って、このカリスマから指導を受けることとなる。

「サッカー選手としてというよりも、1人の男として、一番尊敬できる人ですね。13歳から18歳までの多感な時期に、大人になっていくうえで一番大事な6年間を、そう思える人に育ててもらえたのは、本当にありがたかったです」

多くのことを学んだが、なかでも印象的だったのは気持ちや姿勢の部分だという。

「達磨さんは『サッカーが上手いから何なの?』という感じの人で。それよりもサッカーと向き合う姿勢だったり、1人の人間としてあるべき姿を教えてもらいました。あの人の出す雰囲気とか緊張感がすごすぎて、言葉で教えられたというより、自然と身に付いた感じでしたね。だからもう、神様みたいな存在でしたよ。今でも携帯の着信に達磨さんの名前が出ると、緊張します(笑)」

島川が「神様みたいな存在」と語る吉田 達磨氏
島川が「神様みたいな存在」と語る吉田 達磨氏

“神様”の下で鍛えられた6年間を経て、島川は、比嘉、酒井、工藤、武富 孝介らとともに、プロ契約を勝ち取った。この年の柏U-18からは、実に9人がプロの世界に飛び込むことになったのだ。

「この6年間がなければ、サッカー選手の夢はとっくに終わっていたと思います。僕にとってはなによりも濃い6年間でした」

もっとも島川は柏でトップ昇格を果たしたわけではない。

「ユース時代はプロになりたいと思っていましたが、高3のクラブユース選手権の前に、トップには上がれないと伝えられました。でも、クラブユース決勝をベガルタ仙台のスカウトの方が見てくれて、大会が終わってから練習参加のチャンスをもらったんです」

他にも島川は、ヴァンフォーレ甲府横浜FCの練習にも参加したという。そのなかで島川は、仙台でプロになることを決めた。

「仙台は環境が一番良かったんですね。寮もきれいで、グラウンドもクラブハウスも整っていた。サッカーのスタイルはまるで分かっていなかったんですけど、とにかくここならサッカーに集中できると感じて。環境の面ですごくいいなと思って入りました」

柏でのトップ昇格は叶わなかったものの、仙台でプロキャリアをスタートさせた島川
柏でのトップ昇格は叶わなかったものの、仙台でプロキャリアをスタートさせた島川

2009年、晴れて仙台でプロのキャリアをスタートさせた島川だったが、その世界は甘くはなかった。3年間、一度も公式戦に出ることができなかったのだ。二度も大怪我を負う不運にも見舞われた。

「プロに入って初めの3年間は、何もできなかったですし、自信も失っていました。きついというか、自分には何もないんだなということを痛感させられた3年間でした」

厳しい練習が課せられたユース時代とは異なり、プロでは限られた時間の中で自らを高めていくしかない。

「自分が下手くそすぎたんですね。ユースの頃とは明らかに練習量が減って、試合にも出られない時間のなかで、自信だけではなく、身体のキレがどんどん失われていったんです」

自分のなかでは厳しく追い込んでいるつもりでも、身体が思うようについてこない。何をどうすればいいのか、焦りだけが募っていく。

「今思えばいい経験ですけど、当時は本当に何のためにサッカーをやっているんだろうとずっと考えていました。自分がいることで練習の質を下げてしまっているなと感じて、先輩たちにも申し訳ない気持ちでいっぱいでした。あの頃は、ただただ、きつかったですね……」

それでも島川は、苦しい日々の中でも、諦めることだけはしなかった。そこには柏のアカデミー時代の経験があったからだ。

「中学生の時から自分は特別ではないと認識していたことが大きかったと思います。いくらでも代わりがいるというのは分かっていたので、真面目に取り組むしかなかった。とにかく一生懸命頑張るというのは、レイソル時代の習慣のおかげ。だから、何とか乗り越えられたのかもしれませんね」

島川はプロ4年目となる2012年に東京ヴェルディに期限付き移籍した。しかし、ここでも出場機会を得られずに、同年の夏に、当時JFLだったブラウブリッツ秋田に期限付き移籍することとなった。そしてこの新天地で、島川はプロになって初めて試合に出る充実感を味わい「生きている感じがした」という。

シーズン途中から加わった島川は、その年に12試合に出場すると、翌年に仙台に復帰するも、6月に再び秋田に期限付き移籍し、2014年からは完全移籍に移行している。JFLからJ3へと参入するクラブの転換期で、島川は計4シーズンに渡って、秋田でプレー。この4年間は島川にとって、貴重な時間となった。

秋田では4年間プレーし、キャプテンも務めるなど選手として大きく成長した
秋田では4年間プレーし、キャプテンも務めるなど選手として大きく成長した

「秋田では、キャプテンをやらせてもらいましたし、ボランチをやるようになったのも秋田に行ってから。いろんな経験をさせてもらいました。でも、一番印象に残っているのはチームメイトのこと。JFL時代はもちろん、J3になってからも、チームメイトの半分くらいはアルバイトをしながらサッカーをしていました。もしかしたら、普通に働いたほうがお金をもらえるかもしれない。でもそのなかでも、どんな環境でも、サッカーが好きで、サッカーに真摯に向き合う仲間たちがいた。あの当時の仲間のことは今思い出しても心が揺さぶられます。自分がどれだけ幸せで、恵まれた環境でやれていたのかと再認識できたし、秋田での4年間はそれくらい大切な時期でした」

JFL時代には、秋田から15時間かけてバスで京都まで試合に行ったこともあるという。それでも、そこには大切な仲間たちとともに、サッカーができる幸せがあった。

後編はこちら>>
【後編】27歳でJ1初スタメン。遅咲きのボランチを開花させた恩師の言葉と「オミさん」の闘う姿勢

 

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