兄弟でJリーグ選手

遠藤 保仁(えんどう やすひと)選手は、鹿児島県鹿児島市出身。
1980年1月28日生まれの現在43歳です。

愛称は“ヤット”。
2人の兄に影響され、幼い頃からサッカーを始めました。
次男の彰弘さんも元Jリーグ選手で、横浜F・マリノス、ヴィッセル神戸で活躍しました!
▶遠藤彰弘さんの現役時代

レジェンドの第一歩【横浜フリューゲルス~京都パープルサンガ】

鹿児島実業高等学校に進学し活躍を見せた遠藤選手は、1998年に横浜フリューゲルスに加入。
開幕戦でいきなりプロ初出場を果たすなど1年目から16試合に出場しました!
その後、クラブの吸収合併に伴い1999年に京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)に移籍。


遠藤選手はレギュラーに定着しますが、京都は2000年にJ2リーグ降格となってしまいました。

Jリーグの顔として活躍し、ガンバ大阪で歴史を作った20年!

2001シーズン、ガンバ大阪に移籍。
移籍3年目の2003シーズンにはベストイレブンに初選出されるなど、中心選手として活躍!

2005シーズンには自身初の2桁得点を記録し、クラブもリーグ初優勝を果たしました!
以降も、圧倒的な攻撃力を誇るG大阪を牽引!
同時に日本代表としても活躍し、過密日程に苦しみながらも懸命にプレーを続けた遠藤選手。

2007シーズンにはJリーグヤマザキナビスコカップ(現・JリーグYBCルヴァンカップ)優勝!

2008シーズンにはAFCチャンピオンズリーグ優勝とFIFAクラブワールドカップ3位、そして第88回天皇杯全日本サッカー選手権大会優勝に貢献しました!
2009シーズンには、AFC年間最優秀選手賞(アジア年間最優秀選手賞)を受賞し、名実ともに日本を代表する選手に!

2010シーズンにはFIFAワールドカップ南アフリカ大会に出場。
フリーキックでゴールを決めるなど、日本代表のベスト16入りに大きく貢献しました!

2011シーズンには史上7人目となるJ1通算400試合出場を達成!

2012シーズン、G大阪は不調に陥りJ2降格となってしまいましたが、遠藤選手はクラブに残留。

2013シーズンはキャプテンに就任し、G大阪のJ2リーグ優勝・J1リーグ復帰に貢献しました!
2014シーズンは、日本代表としてFIFAワールドカップブラジル大会に出場。
G大阪でも好プレーを見せ、J1リーグ、ナビスコカップ、天皇杯の3冠を達成!
遠藤選手はこの年のJリーグアウォーズでMVPを受賞しました!!
2015シーズンには、歴代最年少でJ1通算500試合出場を達成!

2016シーズンには、史上13人目でMF登録では史上2人目となるJ1リーグ通算100得点を達成しました!
2018シーズンは開幕戦でゴールを決め、21年連続ゴールを達成。
11月10日の湘南ベルマーレ戦では、フィールドプレーヤーで史上初となるJ1通算600試合出場を果たしました!
2019シーズンも開幕戦に先発出場し、Jリーグ史上初となる20年連続での開幕戦先発出場を果たしました。
8月2日のヴィッセル神戸戦では64分から途中出場し、日本人初となる公式戦通算1,000試合出場という前人未到の大記録を達成!

現役最後のクラブはジュビロ磐田に!

遠藤選手は、2020シーズン途中にジュビロ磐田へ期限付き移籍。

2022シーズンからは磐田に完全移籍、しかし遠藤選手はキャリア初のシーズン無得点、クラブもJ2リーグ降格となりました。
Jリーグ開幕30周年の2023シーズンは、ファン・サポーターの皆様の投票をもとに、30年の歴史の中から選出する「明治安田J30ベストアウォーズ」で見事ベストイレブンとMVPに輝きました!
2023シーズンはリーグ戦21試合に出場した遠藤選手。ジュビロ磐田は1年でJ1リーグ復帰を決めました!
遠藤選手は2023シーズンをもって26年の現役生活に幕を下ろし、2024シーズンから古巣G大阪のトップチームコーチに就任します!

日本のレジェンドが現役生活に別れを告げる

今回は、“日本のマエストロ”遠藤 保仁 選手の現役生活を振り返りました。

数々の記録を打ち立ててきた生ける伝説、遠藤選手。
そんな遠藤選手の次のステージにも注目です!

遠藤選手、26年間の現役生活お疲れ様でした!
遠藤選手のプレー動画はこちら!