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【今、大阪のJがアツい!】首位、G大阪の13年間を振り返る(05.11.25)

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優勝の2文字を目前にして足踏みが続くガンバ大阪だが、いまこの場所にたどり着くまでには長きに渡る苦闘の歴史があった。ガンバ大阪が目指している優勝という1つの到達点は、どんな13年間の歴史の上にあるものなのだろうか?

<負け越し続きの、開幕4年間。> 1993〜1996年
 絶大な注目を集め、Jリーグが開幕した93年。ガンバ大阪は関西初のプロサッカークラブとして、大阪の地に誕生した。前身は、80年創部の松下電器サッカー部。初代監督には『世界の釜本』とも呼ばれた、日本を代表する元エースストライカーの釜本邦茂氏。「監督といえども、シュート練習をさせたら、誰よりも上手かったからね(笑)」−そう当時を振り返るのは、93年、帝京高校より鳴り物入りでガンバ大阪に入団。釜本に「お前を日本一のストライカーに育ててみたい」といわしめたFW松波正信である。
 その松波に代表されるように、当時のガンバ大阪は多くのスター選手を抱えていた。松下電器サッカー部からの生え抜き選手であり、甘いルックスでも人気を集めたFW永島昭浩や早稲田大学時代に日本代表入りを果たした実力派、MF松山吉之(現ガンバ大阪コーチ)。そして、MF礒貝洋光。帝京高校時代からその名を全国に轟かせたスーパースターが、「関西は自分にとって初めて足を踏み入れる場所。そこで自分がどれだけできるのか試したい」と東海大学を中退して選んだ場所もまた、ガンバ大阪だった。彼ら以外にも、GK本並健治、MF今藤幸治、FW山口敏弘、MF久高友雄、MF和田昌裕らが在籍。実力はもちろんのこと個性豊かで甘いマスクを持った選手が多かったこともあり、若い世代の女性ファンも多く擁した開幕当初のJリーグの中でガンバ大阪は、当時圧倒的な支持を得ていたヴェルディ川崎に次ぐ人気チームだったと言っても過言ではない。
 だが、そうした人気の一方で、チームの成績は低迷を続けた。93年は浦和レッズとの開幕戦(万博)こそ1-0で勝利したものの(歴史的なガンバ初ゴールは前述のMF和田昌裕)、コンスタントに勝ち続けることができず、サントリーシリーズは8位(8勝10敗)、ニコスシリーズは6位(8勝10敗)。翌94年もサントリーシリーズで10位(7勝15敗)、ニコスシリーズで10位(8勝14敗)と大きく負け越し。中でも、ナビスコカップ準決勝・ヴェルディ川崎戦での1-7という歴史的大敗や、ニコスシリーズでの7連敗は、当時の低迷ぶりを象徴する出来事だったと言えるだろう。
 そうした状況に手を打とうと釜本監督を解任し、クラブ初の外国籍監督(ヘルト氏)を迎えたのが95年。また、チームの主力であったベテラン選手を一気に放出し、若手中心のチームへと切り換えたのもこの年。93年と同じく開幕戦こそ名古屋グランパスから白星を奪う好スタートを切ったG大阪は、第5節の勝利で首位に躍り出る勢いを見せるが、第9節の鹿島アントラーズとの首位決戦に敗れると、以降は勝ちあぐね、サントリーシリーズは11位(10勝16敗)。ニコスシリーズに至っては、開幕3連敗を喫するなどで一時は最下位に。激怒したサポーターに、キャプテンの礒貝が頭を下げて謝罪するなど、ファンとクラブとの間にも軋轢が見られ、成績も13位(8勝18敗)に低迷した。これを受け、1年でヘルト監督は解任となり、96年にはヘルト氏のもとでコーチをしていたヨジップ・クゼ氏が監督に。この年、チームはクラブ名を『ガンバ大阪』に改称。初の1ステージ制のシーズンに、新たな決意でスタートを切るが結果は12位(11勝19敗)とまたしても、負け越し。それまで第9節に一度も勝ったことのなかった、ヴェルディ川崎から4年目にして初の白星を奪い取り、不名誉な連敗記録は15でストップするが、第12節の柏レイソル戦では相手FWエジウソンに5ゴールを献上。結果1-7の大差で破れるなど、波のある試合内容も多く、確固たる『チーム力』を示せぬままFW礒貝やMF松山、DF橋本雄二やDF辛島啓珠らが次々とチームを去った。

<雌伏の時。> 1997〜2001年
 『GAMBA Revolutionーそして新たな挑戦が始まる』というスローガンのもとでスタートした97年は、ある意味、『低迷期』に終止符を打った、まさにレボリューションイヤーだったと言える。「若い選手が経験を積み、学習してくれたことは今季の躍進に向けての大きな成果となるだろう」とは、シーズン開幕を前にしたクゼ監督の言葉だが、DF宮本恒靖、DF實好礼忠、DF木場昌雄、FW松波正信ら若手選手の成長にも支えられ、また何より、この年の代名詞とも言うべき新外国籍選手、『浪速の黒豹』FWエムボマの存在が、チームに大きな変化をもたらす。25ゴールを挙げて得点王となったFWエムボマの得点力に引っ張られてチームはまとまりを見せ、かつ同年、高校生デビューを果たしたMF稲本潤一が注目を集めるなど、ガンバ大阪は名実ともに一気にAクラス入り。戦術としては『しっかり守ってFWエムボマ頼み』的で、短絡的なところが見受けられたものの、当時、負け癖がついていたチームにとって「勝てるチーム」への変化は、大きな力に。結果1stステージ(8位:8勝8敗)でチーム史上初めて「負け越さずに」ステージを終えると、2ndステージは、Jリーグタイ記録となる9連勝を達成。FWエムボマのJリーグタイ記録の6試合連続得点にも後押しされて『タイトル』を明確な視野にとらえる。だが、終盤、正念場の第14節のジュビロ磐田戦でVゴール負けを喫して初優勝の夢がほぼ消えることに。結果クラブ史上最高のステージ成績2位(12勝4敗)でシーズンを終えた。
 その97年の躍進を思えば、ここからはうなぎ上りにチーム力をつけ…と言いたいところだが、そうはいかず。シーズン途中の5月にアントネッティ監督を迎えたガンバ大阪は、エムボマもシーズン途中にチームを去る中、1stステージは14位(7勝10敗)、2ndステージは終盤悪夢の8連敗で16位(5勝12敗)に大きく後退。Jリーグ1、2部制が敷かれた99年は、再びシーズン途中の6月に、チームとしては5年ぶりの日本人監督である早野宏史氏が就任するも1stステージ10位(6勝9敗)、2ndステージ13位(5勝1分9敗)と再び負け越しのシーズンに。とはいえ、シドニー五輪予選ではDF宮本、MF稲本、MF小島宏美、GK都築龍太らを擁した五輪代表が本大会出場を決めたことなどもあり、個人を通してチーム人気が高まりをみせていく。
 そして迎えた五輪イヤーである2000年。1stステージこそ13位(5勝2分6敗)と低迷したものの、2ndステージでは、チーム初の開幕5連勝。以後も連敗なく、第10節のサンフレッチェ広島戦を3-2で破ると1071日ぶりに首位に浮上。しかも97年とはまた違った内容に手応えを感じられる勝利で、チームは勢いを見せる。第12節の柏レイソル戦での敗戦で首位陥落となったものの、タイトルはまだ射程圏内。だが勝点1差で迎えた、第14節の首位・鹿島アントラーズ戦に敗れて後退。結局、この年は最終節の柏戦を0-0で引き分けた鹿島に『タイトル』を持ち去られてしまう。成績は4位(10勝4敗)。勝負どころでの弱さを露呈した選手たちを評し、早野監督が「うちのチームはまだ幼い」と話したのが印象的だった。ちなみに翌年も指揮をとった早野監督は1stステージでこそ5位(9勝5敗)という成績を残したが、MF稲本が海外へと旅立った2ndステージは勝ちきれずに、シーズン終了を待たずして辞任。成績も、11位(5勝2分7敗)と大きく後退した。

<『タイトル』が見える。> 2002〜2005年
 日韓ワールドカップに沸いた2002年。ガンバ大阪の人気は沸騰した。それまでも人気の高かったDF宮本が、フェイスガードをつけて戦ったワールドカップでの活躍で大ブレイク。それに伴って、ガンバ大阪も注目を集める機会が増えた。この年、現監督である西野朗氏が招聘され、1stステージ4位(9勝1分5敗)、2ndステージ2位(10勝4敗)と躍進を遂げ、チーム最高年間順位となる2位でシーズンを終了。サイドを使ってFWマグロンの高さにあわせる攻撃がチームを加速させ、03年への期待を膨らませた。だが、西野監督が「いろんな意味で苦しんだ」と振り返るその03年の1stステージでは、開幕3戦負けなしの好発進を遂げたものの、終盤5試合、白星に見放されるなどして失速し12位に低迷(4勝4分7敗)。2ndステージでは、勝ち試合でのロスタイムでの失点が相次いでドローにされるなど、勝ちあぐねる状況下で思うように勝点を伸ばせず、7位(6勝5分4敗)と中位どまり。チームスローガン『OVER THE TOP』は叶わぬ夢と化す。
 そして西野体制の正念場とも言うべき、3年目の04年。主力であったMF新井場徹がチームを去る中、ガンバ大阪は現在のキャプテンDFシジクレイやDF渡辺光輝、攻撃の軸の1人であるMFフェルナンジーニョらを獲得。日本代表に定着したDF宮本、MF遠藤保仁を軸に、安定した守備をベースとする攻撃サッカーを目指そうとするが、結果的にはFWマグロンを中心に展開されるサイドアタックは相手に先読みされて勢いを消され、思うように攻め切れなかった。結果、何となく勝ち星を拾えているものの確固たる強さが見られぬまま、4位(7勝3分5敗)で1stステージを終了する。
 だが、7月の約1ヶ月の中断期間がチームに変化をもたらすことになる。DF宮本とMF遠藤はアジアカップ出場のためチームを離れたが、その間、ナビスコカップ等で彼らにかわってチームの主軸へと成長したMF橋本英郎、FW大黒将志、MF二川孝広らが中心となって攻撃に変化が見られ、それにMFフェルナンジーニョらがうまく絡む形でチームは大きく成長。それが分かりやすく結果に結びついた2ndステージは、開幕4連勝。DF宮本をもベンチに座らせるほど他のメンバーが成長し、それが勝利へと直結した。個人技を活かしながらパスとドリブルで繋ぐ今季のスタイルのベースとも言うべき攻撃の形を作り上げてゴールを量産し、白星を重ねる。結果的には第12節の横浜戦での敗戦で優勝の望みは絶たれたが、チーム史上最多得点試合となった第8節のセレッソ大阪戦での7-1勝利に代表される攻撃力。03年を布石に大ブレイクしたFW大黒の活躍。「守備の確立があってこその結果。守備陣の結束は大きかった」といわしめた守備陣の安定などに支えられ、2ndステージを8勝3分4敗で掴んだ3位の座は、明らかに手応えを感じるものであり、翌年への期待を抱かせるものであった。
 そして、05年。FWアラウージョという新たな外国籍選手を加えたG大阪は開幕の大宮戦こそ黒星発進となったものの、リーグ戦では正念場とされた7月の『HOT6』を勝ち抜き、更には西野監督がナビスコ準々決勝を含めて『HOT5』だと称した8月の連戦も結果を出した。またカップ戦では代表不在の予選を組織力で勝ち抜き、第22節の東京V戦での勝利で、鹿島を押し退けて首位の座に躍り出る。昨年、新たな成長が見られた攻撃力は、FWアラウージョのフィットもあってより勢いを増し、第32節終了時点での得点は、他チームを大きく引き離す77得点。前がかりな攻撃サッカーを展開してきた分、守備面ではリスクを負って失点は54と多めだが、それでも「取られても、取り返す」攻撃力に支えられて今季は躍進を遂げてきたこと。結果的に白星を得てきたことを考えれば、その失点は、ガンバ大阪の攻撃サッカーを否定するものではない。
 だが、その勢いもここにきて失速。前線を預かるFW大黒、FWフェルナンジーニョ、MFアラウージョが成すトライアングルが研究され、かつボールの出どころである攻撃の芽が徹底して潰しにかかられる中でゴールは減少。相次いでケガ人が出たことも災いしつつ、ここ5試合では今季初の連敗を2度喫して1勝4敗と苦しんでいる。ただ、それでも首位の座を明け渡した訳ではない。前節の大宮アルディージャ戦での敗戦で2位セレッソ大阪とは勝点で並んだものの、得失点差で大きく差をつけ、首位をキープ。勝ち続ければ、自力で優勝を手中にできる位置にいる。そして、いい時も悪い時も含めて、今、首位にいる現実こそが、他ならぬ、今季ガンバ大阪が残してきた結果なのだ。
 さあ、残り2試合。13年間の歴史が支え、そして今ガンバ大阪にいる選手たち全員が戦い続ける中で近づいてきた『タイトル』まであと2試合。過去、繰り返してきた「あと一歩」の悔しさを誰よりも肌身で感じている選手たちだからこそ、今の苦しみから逃げずに、苦しみを糧として、きっとガンバ大阪の歴史に初の『タイトル』を刻んでくれる。

2005.11.25 Reported by 高村美砂
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