◆11月15日から最終販売開始!FIFAクラブワールドカップのチケット情報はこちらから!
◆J's GOAL FCWC特集サイトをチェック!
■オーストラリアについて
多くの日本人にとってオーストラリアのイメージは「カンガルーとコアラの国」というものかもしれない。サッカーファンの中には2006年のFIFAワールドカップドイツでの代表チーム(ニックネームはサッカールー)の活躍や、昨年のアジア・カップでの日本戦を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。そんなオーストラリアについてわかりやすく説明してみよう。
教科書的に言うならば、オーストラリアは南半球にある日本の22倍(世界6位)の面積を持つ国。そして1901年に英国から独立した比較的歴史の浅い国だ。人口は約2100万人、人口密度は1平方キロメートルあたり2.6人と日本(342人)の132分の1。この数字だけからは広大な国土の中にポツーンと人々が暮らしているように感じてしまうかもしれない。しかし実際には人々が近代的な生活をおくることができる地域は限られており、オーストラリアの5大都市であるシドニー、メルボルン、ブリスベン、パース、アデレードに全人口の60%が集中している。(ちなみに首都であるキャンベラの人口は39万人、首都にしては少ないと感じるかもしれないが、これは首都を決める際にシドニーとメルボルンが争い、最終的に中間地点のキャンベラを首都とすることで決着したという歴史的な背景があるためだ。)
そしてオーストラリア人の92%が欧州からの移民またはその家族で7%がアジア系、残り1%がそれ以外となっている。1980年代に白豪主義(オーストラリアの白人優先主義)を撤廃して以降アジア系の人口が増加傾向にあり、日本からも1980年に始まったワーキング・ホリデーのシステムを使って1年間(2年まで延長可能)の豪州体験をする若者が多い。また一人あたりのGDP(国内総生産)は2007年の統計で約$43000と世界16位、生活のしやすさやを表す人間開発指数(HDI)では2004年から2007年まで世界3位と日本の8位(2007年)を上回っている。オーストラリア最大の都市シドニーは“住んでみたい都市”の調査で上位に毎年顔を出していることから、欧米人の考えるオーストラリアのイメージは「豊かで暮らしやすい国」のようだ。
国の成り立ちは英国から独立したため歴史的に英国との関係が深く、現在でも国家元首はエリザベス女王、その元首から任命を受けた連邦総督が元首に代わって首都に常駐する制度を採用している。都市の成り立ちや文化的な部分にも英国の影響が強く、歴史のある都市の地名には英国に実在する地名が使われ、警察官のユニフォームやパトカーのデザインも英国風、フィッシュ&チップスが名物で、夜はパブ(Pub)と呼ばれる英国発祥の酒場でビールを立ち飲みする習慣がある。そのビールはアメリカンスタイルのクリアテイストではなく、エールに代表されるコクのあるしっかりテイストのビールが中心だ。
■アデレードについて
そんなオーストラリアの中にあってアデレード・ユナイテッドFCがホームタウンとするアデレードはどんな都市だろうか。メルボルンの北西730キロメートル、シドニーの西1408キロメートルに位置するアデレードは夏は暑く長く、冬は短く温暖な地中海性気候の都市で、オーストラリアの6つの州のうちのひとつサウス・オーストラリア(SA)州の州都。人口は約116万人(2007年)と全豪第5位の大都市だ。広さは1827平方キロメートル、大阪府の面積より少しだけ狭い。そしてこれはサウス・オーストラリア州の人口の70%以上が同州の面積の0.1%に集中していることを意味する。このことは同市の成り立ちと無関係ではない。シドニーなど他のオーストラリアの大都市がアメリカ独立に伴って英国の流刑地として選定されたのが1888年、それらの都市が下層階級の労働者を中心に発展してきたのと異なり、英国王ウィリアム4世妃アデレードの名前を冠しているこの都市は早い段階から計画都市としての発展を遂げてきた。第二次世界大戦中にはGMホールデンやクライスラー(現在はMitsubishiの自動車工場になっている)の工場を誘致し、国内最大の石油会社Santos(South Australia Northern Territory Oil Search)が本社を構え、大手ビール会社Coopersがその拠点としているなど都市の規模に見合わない大企業が存在するのもそのためだ。また、女性が財産を所有できる権利と女性の参政権を歴史上最初に認めたのもアデレードであった。
そしてアデレードの産業を支えるもうひとつの重要な柱が軍事産業だ。北米大陸や欧州から1万2000キロ以上離れるこの都市は大陸弾道弾(ICBM)の最大射程距離1万キロの外にあることからオーストラリアの防衛軍需産業施設の70%が存在する。
そんなアデレードの名前を日本中に知らしめたのはF1のオーストラリア・グランプリ。1985年から10年間オーストラリア・グランプリはアデレードの市街地コースで開催されていた。1987年には鈴鹿を舞台に日本グランプリがF1の年間スケジュールに組み込まれ、日本人初のF1パイロット中島悟がレギュラー参戦をした時期と重なるためブームを引き起こし、アデレードの名前は一躍有名になった。
そして今年2008年、アデレード・ユナイテッドFCがAFCチャンピオンズ・リーグではオーストラリア勢初の決勝進出を遂げたことによりその名前をアジアに轟かせたことになる。国内有数のスポーツ都市でもあるこの都市には、国内で絶大なる人気を誇るオーストラリアン・フットボールのチームが2チーム存在する。その2チームが100年かかっても成し遂げられない国際的な名声をアデレード・ユナイテッドFCはたった設立5年でなしえたという見出しが新聞に躍った。
TEXT Masashi Yamashita /Mega Expression Pty Ltd
◆FCWC無料携帯サイトでもコンテンツを続々追加していきます!
まずは下記QRからアクセス!&Bookmarkを!
















