昨日引退を発表した宮沢克行選手ですが、本日モンテディオ山形 クラブハウスにて引退会見が行われました。宮沢選手のコメントは以下の通りです。
宮沢克行選手現役引退のお知らせ
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●宮沢克行選手(山形):
「まずはじめに、自分のことでみなさまにお集りいたたいて、ありがとうございます。よろしくお願いします。
このたび、Jリーグ2012年のシーズンをもちまして、現役のスパイクを脱ぐことを決め、引退することになりました。モンテディオ山形、アルビレックス新潟、浦和レッドダイヤモンズと3つのクラブに関わりまして、どのクラブでも多くのクラブ関係者にお世話になりました。また、監督をはじめ現場のスタッフ、そして個性あふれるチームメートとサッカーという仕事が続けられたことを誇りに思いますし、自分の財産になると考えています。14年間という現役生活でしたが、その生活を続けてこれたのも、その原動力は、いつも応援してくれるサポーター、ファンの存在でした。自分はそういったサポーターやファンのみなさまの笑顔を見るのがすごい好きでしたし、みんなが常に笑っていられるように、特に試合後、みんながよろこんでいる姿を見られるようにプレーしてきたつもりです。また、サッカー選手として応援してくる方々に勇気や感動、元気を与えたい、その気持ちも強く持ってプレーしてきました。本当に応援してくれる方々のお陰で、このように14年間、サッカーができたんじゃないかなと感じています。応援してくださった方に本当に感謝しています。本当にありがとうございます。
サッカーのプレーヤーとしては終わりになるわけですが、小学校2年生から続けてきたサッカーなので、これからもサッカーに関わっていきたいと思いますし、また何かしらいろんな形で、いろんな方のためになることをしていきたいと考えております。本当に14年間、お世話になり、応援していただき、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします、という気持ちでいっぱいです。以上です」
Q:宮沢選手自身が引退を決められた瞬間はいつでしたか?
「サッカー選手ですし、30代過ぎてから年齢のこともありまして、数年前から引退の現実的な考えはありました。ただ、続けていくなかで、やっぱりやりたい。毎年毎年、また次もやりたい、まだ自分はできる、やれるんじゃないか、やれる、という気持ちが強くて、なかなか最後の決断ができなくて、そんななか今年を迎えてやってきましたが、先週の金曜日ですかね。11月2日になると思うんですけど、クラブのほうから来季選手としての契約は考えていないとはっきりと言われまして、そこから現役を続けるのは違うチームになるということで、あるいは引退するか、その決断をしなくちゃいけないということになりました。正直、自分はまだやりたいなと言う気持ちはあるんですけれども、うまく背中を押してもらえたかなという気持ちで、逆に感謝の気持ちを持っています。それで、はっきりと自分のなかでは、ほかのチームを探して現役を続けるより、長くお世話になったここ山形で終わりにして、次の道に進みたいと考えて決断しました。」
Q:山形で長くプレーされていて、特に印象に残る出来事やプレーはありますか?
「たくさんあり過ぎて、ひとつということじゃないですね。ただ、1回移籍してきて、(一度新潟に戻ったものの)再度ここに来れたというのは、すごい縁があるんだなという感じがしましたし、自分がキャプテンマークを巻けて、J1昇格と降格を経験できたのも印象深いです」
Q:引退後、クラブに残って後進の指導にあたるということも考えていますか?
「常々、そういうことも考えていまして、もちろんモンテディオ山形のクラブからも選手以外の道も考えてもらえるということは言われています。自分も本当にお世話になったクラブなので、何か恩返しができればという気持ちもあるのですが、自分一人で決められることでは・・・。家族もいますし、独り身でもないので、いろんなことを考えて決めたいと思っていまして、本当にいま悩んでいるところです」
Q:いまの質問に関連してですが、まだ次の道は具体的に決まっていないということですか?
「そうです。決まってないです」
Q:そのなかで、山形に残られて指導者の道に進むということも選択肢のなかのひとつにあるということですか?
「はい、もちろん。指導者の道になるのか、違った形になるのかわかりませんし、幸いというか、いろんな選択肢がありそうなので、もうちょっと考えさせてもらって決めたいというところです。ただ、具体的にはまだです。話としては、モンテディオから次の道はしっかりと考えてもらっているということの意思表示は受けました。それ以外ではまだ何も自分の耳に入っていないという状態です」
Q:宮沢選手自身が、「こういった選択肢もある」といま頭の中にあるものもありますか?
「もちろん、いろんな人と関わってきたので、そういう人との関わりも自分は大事にしてきましたし、いろんな人と相談できるんじゃないかなという状況です」
Q:最後の現役生活を過ごしたモンテディオ山形というクラブに、今後はどんな眼を向けていきたいですか?
「今後、何があっても切れる縁ではないと思っているので、早いか遅いかはわかりませんけれども、恩返しができるかと思っています」
Q:宮沢選手の周りにいるどの選手、どのサポーターに聞いても、プレーもそうですが人柄を評価する声が聞かれます。プロのサッカー選手として人間性を磨いていく、高めていくということをどのように考えて現役生活を送ってきましたか?
「自分の考えは、プロサッカー選手である前に、一人の人間だったり、あるいは父親だったり、そういった側面があると思うので、そちらを大事にしたいというか。だから、はっきり言ってプロサッカー選手としては優し過ぎたり、個を強く出せなかったり、マイナス面があったりして、お手本にはならないのかもしれないですけど、自分の考えとして、人として成長したいというのは近年思っていましたし、サッカーでどれだけ成長したか、あるいはサッカーのほうで成長を目指していましたけど、人としても本当に成長したい。いろんな方にそう言っていただけるなら、少しは成長できてきたのかなと思います。でもこれから先、サッカープレーヤー以外の時間が長いということは明らかだったので、実際、サッカーのことしかあまりわからないですけれども、人としてという根本的なものは大事にしていきたいなと。それができたかはわからないですけど、そういう気持ちでした」
Q:長い選手生活のなかで、キャプテンとしても長く務めてきましたが、キャプテンとして昇格、降格いろいろ経験しているなかで、サポーターとも関わりがたくさんあったと思います。モンテディオ、あるいは山形というのはご自身にとってどういう存在ですか?
「本当に故郷ができたんじゃないか。もちろん、新潟もそうですけれども、約7年間生活しましたし、人も本当にあたたかかったし、おいしい物もいっぱい食べましたし(笑)。山形に来れてよかったなと、正直に、素直に思います」
Q:年齢的に30歳代後半まで、現代サッカーのなかで中盤でやってこられた秘訣や心構えで、後進に伝えたいことはありますか?
「人それぞれだと思っていました。なので、アドバイスするというのはすごく自分のなかでは難しくて、どんな方法でもいいと思います。それで自分がしっかり目標を持ってやっていればいいと思いますし、自分はプロになってすぐ試合に出れなかったタイプだったので、本当に試行錯誤してましたし、絶対に次の年に活躍するんだ、あるいは契約を勝ち取るんだという気持ちで毎年毎年やっていました。また、常に100%でやるという心構えでいましたから、この歳になっても、どうしてもうまく練習の調整というんですかね、自分の体と話し合って、やり過ぎないように、あるいは思いっきりやるように、そのコンディションづくりをするのが、昔よりはうまくなりましたけど、100%でやるというのが自分の芯にあったので、今年もそういう形でやってきたかなと思います」
Q:浦和、新潟、山形と14年間の移動生活でしたが、この14年間は宮沢選手にとってどんなものでしたか?
「みんな『長い、長い』って言ってくれて、『よく頑張った』って言ってくれるんですけど、本当に1年ずつ刻んでいった感がありまして、そう感じれるというのは、常にその時間を大事にして頑張ってこれた証拠かなあというふうに思います。先を見据えたりしますけど、いつだって、いまもそうなんですけど、この時間が大事であって、過去や未来が大事ではないというか。なので、あっという間だったなと。だからもうちょっとやりたいなという気持ちはもちろんあります」
Q:いろいろな経験をしてきたというお話でしたが、挙げたゴールのなかでいま一番思い出せるのはどのゴールですか?
「それ絶対聞かれると思ったんですけど(笑)、どのチームでも幸いゴールを決めることができて、少なかったんですけど・・・。ひとつとは言えないですね。でも、特に山形の方々は、柏戦(09年、J1第30節、※動画)のゴールを挙げてくれるので、それも印象深いですし、もちろんダービーで決めたゴールもあったので、それはいまでも憶えています」
Q:浦和、新潟、山形と3度の昇格を経験されて、「昇格請負人」という声も聞いていますが、今季に懸ける思いがどうだったのかということと、今季昇格ができなかったということをどう思っているのかを教えてください。
「やはり今年の目標はJ1昇格でしたから、まずそれに向かってもちろんやってきました。そのなかで、Jリーグ通算300試合出場を達成したときに、サポーターが掲げてくれたメッセージがありまして、「共にJ1に行こう、J1で戦おう」みたいなことだったんですけど、なんとかして上げたかった。またこういう形で・・・まあ、自分一人の力では上げれないんですけども、結果として目標を達成できずに、また自分も去ることになるのは残念な気持ちです」
Q:宮沢選手は浦和レッズというチーム、アルビレックス新潟、そしてモンテディオ山形、過去はいろいろ思ったことがあるかと思いますが、いまどんなチームだと思いますか?
「正直、いいチームに僕は在籍できたんだなと。それは自分がいい成績を残したチームもありましたし、うまくいかなかったチームももちろんありますけれども、短いながらも濃いプロサッカー生活を送れたチームもあって、モンテディオは長くいい思いもさせてもらったし、新潟もそうですけれども。子どもに自慢できますね」
Q:先ほど、「もう少しやりたかった気持ちもある」とおっしゃっていましたが、それも踏まえて、現役生活にはいま悔いがないと言いきれるのか、それとも未練とか悔いも残っているのか、どうでしょうか?
「『悔いがなかった』とスッキリ言いたいんですけど、本当に自分は山あり谷あり、まあ谷が多かったし(笑)、代表にも別になってませんし、何がいいのかはわかりませんけれども、それぞれのチームで『こうしたかったな』とか『もっといい経験をしたかった。プロサッカー選手としていい成績を残したかった』というのはありますけど、特にここでJ1残留ができなかったことや、今年昇格ができなかったことは、悔いが残るというか、自分としては残念だったかなと。それはサポーターとの関係が大きいかなという気持ちがあります。だから、『悔いはなし!』という感じではないですけども、あまり気にしてないです。もう何も変えようがないので。こういう発表ができたこと自体、次へのいいチャンスだし、ありがたいことなのかなと思います」
Q:今後の選択肢がいくつかあるとおっしゃっていましたが、山形の指揮官になって戻ってくるという考えもそのなかにありますか?
「さすがに、まだそういうはっきりとした思いはないです」
Q:サポーターといい関係を築けたという話でしたが、改めて、いまサポーターとどういう関係を築けたと思いますか?
「先ほど『いい関係』と言ったんですけど、いいかどうかはいまはわからないですけど、こんなにも多くの方とともに戦えたというか、それはサポーターの来場者の人数ではなくて、自分が顔がわかるぐらい、ある意味近すぎるぐらい、身近になり過ぎて気を遣わせるぐらい、関われたことですね。結局、そういった人たちがこのチームを支えてくれていると思うので、いいときも悪いときもありがたかったと思いますね。向こうはどう思ってるかわからないですけど(笑)」
Q:3クラブに在籍されて、サポーターの雰囲気の違いみたいなものはどう感じていましたか?
「まず浦和レッズは、『俺たちがこのチームを強くするんだ』という本当に熱いサポーターで、そこに自分がチームに入れてよかったなというのは、本当にそのサポーターの存在が大きかったなと。それぐらいインパクトがあるし、いまでもみんなそうですけど、それをチームのなかで感じて応援してもらったのは、自分としてうれしいことでした。アルビレックスも浦和に劣らず人数が本当に多くて、で、浦和とはちょっと違ってあたたかい雰囲気がありまして、僕はそこでかなり試合に出させてもらったことで、選手としてやり甲斐を感じていた部分もありました。浦和のときはまだ、『自分のためになることがサポーターのためになることだ』とそういう順番で考えていまして、新潟になってから、『このサポーターのために頑張ろう。それが最終的に自分のためになるのではないか』という、サポーターのためありきにさせてくれたのは、新潟のサポーターでした。モンテディオは人数は少なかったんですけど、その分、先ほども言ったような感じで接することができましたし、長く支えてもらったし、応援してもらったかなと。特徴は新潟と似ている雰囲気ですけど、またそれぞれ色があるんじゃないかなと思いますし、山形のサポーターのみんなには、山形らしく、これからもみなさんの思うとおりにモンテディオ山形を支えていってほしいなという気持ちです」
Q:後ろにかけられているユニフォームの背番号7番は、モンテディオにとって特別な選手に着けられる番号になっていくのかなと思いますが、この番号を背負ってほしい期待の選手がいるのか。もしいなければ、次代の選手がこれから背負っていくと思うので、期待があればお願いします。
「たとえこの番号を着けてもプレッシャーも何にもないし、ラッキー7ということで、『いいことあるよ』っていうくらいで、誰が着けてほしいとかそういうのは特に考えてないです。でも、高橋健二さん(ミスター・モンテディオ、現トップチームコーチ)のあとで着けたので、いい番号だったかなと思います」
以上















