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【J2日記】北九州:北九州の愛情は忘れない。これからは家族のため、長崎のためにサッカーを続ける」〜小森田友明(元北九州)〜(13.07.10)

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2年半、声援を送ってくれた北九州サポーターの皆さんへのメッセージ

チョープロは長崎県内に12ヶ所の事業所を持つ、昭和24年創業と歴史ある会社。オフィスもとてもお洒落

様々な環境の仲間に、多くの経験を伝えています

ポジションはMFとDFで、ここまで11試合に出場(12試合中)

ここまで1ゴール4アシストと、もちろんチームの中心選手です

チームは10チーム中4位。どこまで順位を引き上がられるかは、小森田選手に掛かっている

早いもので、彼との再会から2カ月が経ってしまったし、原稿を上げるのも予定よりかなり遅れてしまった。それでも、こうやってクラブの功労者に会うことができて、記事にできたのは自己満足かもしれないが、良かったと思っている。

昨季まで2年半、北九州でプレーしていた小森田友明。シーズン終了から4カ月後、プロとしての選手生命を終えることがクラブから発表された。その間も様々な手段を使って彼のことを追いかけていたのだが、ある選手から「長崎の実業団に入るみたいですよ」と有力な情報を得ることができた。そこは、九州の地域リーグ(通称 kyuリーグ)に所属する三菱重工長崎SCというチームだった。どうにか彼に会えないかと考えていたが、ちょうど5月3日にV・ファーレン長崎との試合で長崎に行くことを思い出した。さっそく三菱重工長崎と連絡を取り、取材の約束に成功した。

ゆっくり話を聞きたかったので長崎には前日入りし、彼が仕事を終える時間まで長崎観光を楽しんでいた。長崎駅から電車で少し離れた場所に彼の勤務先はあった。V・ファーレン長崎のスポンサーでもある、LPガスの地元大手企業のチョープロだ。受付で案内され、様々なガス器具が展示されている商談席で待っていると、仕事を終えた彼が現れた。着るものはユニフォームから制服に変わったとはいえ、現役時代と変わらずスリムで、そして優しい雰囲気のままだった。話を聞くと「2月に入社して働かせてもらっている。今まで経験して来なかったけど、普通の方がどうやってお金を稼ぐのか、その大変さがわかりました。まだ慣れないけど、高校卒の若い子に交じって研修中です」と、日焼けした笑顔がこぼれた。

12年間、プロのサッカー選手として、Jクラブのみならず海外にも活躍の場を求めた彼に、もう現役に未練がないのかと尋ねたらこう明かしてくれた。
「本当は海外でもどこでも、プロとしてサッカーをやりたかった。でも、1月25日で給料がストップする。家族の生活も考えました。小学1年生の子どももいるし、チームが変われば引っ越しも考えなければならない。
以前にインドネシアに単身で行った時、幼稚園の七夕の短冊に子どもが『パパとママとさわ(お子さんの名前)とずっと一緒にいられますように』と書いたのを見たんです。ほかの子は『サッカー選手や歌手になる』と夢が書かれていたのに。自分の夢のために子どもに寂しい思いをさせていたんだなあと。1、2年でまたクビになるのなら家族と暮らせることを優先しようと、今の道を選びました」

いくつかのJクラブからの誘いを断り、なぜ長崎という地を選んだのか、その答えはこうだ。
「国見高校でサッカーをしていたので、長崎に恩返しをしたいとも思っていた。2007年に熊本に戻ったのも出身地だったしJ2に上げたいという思いがあったからで、自分の経験が力になればと。
今回の話を持って来たのは、自分を国見高校に誘った木藤健太(元福岡、山形)。彼は今、教師をしながら三菱重工長崎でサッカーをしているんです。Jクラブから誘いもあったのですが、迷いはなかった。勉強もできない自分を誘ってくれた、チョープロの社長さんたちを裏切ることはできません。2014年に開かれる長崎国体の話を聞いて、今まで自分のためにサッカーをやっていましたが、勝って長崎の監督やサポーターの笑顔が見たいという気持ちが強くなりましたね」

●与えられた環境でサッカーを楽しむ
しかし、そこは実業団。練習環境はこちらが思っている以上に大変なようだ。実はこの取材も、練習場で行う予定が急遽変更に。「三菱重工長崎の練習が週2回、国体の練習が1回。ただ今はサッカーよりも仕事が優先なのは当たり前。ほかの人より10年くらい遅れて社会人になったんですから(笑)。朝の掃除から始まり、終業時間は17時半ですが、その後も仕事の勉強をしないといけないし、上司よりも早く帰るわけにもいかないし…。結局、20時くらいになってしまって練習時間に間に合わないこともあります。時間は作るものとはよく聞きますが、なかなか作れませんね(苦笑)。会社に相談すれば融通を利かせてくれると思うけど、それでは同じ環境でサッカーをやっている人たちに説得力がないから。昨季までは、24時間365日サッカーのことだけを考えられた。今は限られた時間しかサッカーができないのが現実ですね。だから、仕事をやりながらサッカーをやっている人というのは、本当にサッカーが好きなんだと改めてわかりました。プロ時代には見えなかったことで、そういう人たちを本当に尊敬しています」。以前よりサッカーが好きになりましたかと聞いたのだが、「(そんな余裕は)まだない」とか。

練習環境以外にも大変な面はあるだろう。ただ、彼はそれも苦にはしていなかった。
「試合ではプレッシャーを感じます。元プロとして結果を求められるし、周りとは違う。『こんなプレーだからクビになったのか』と思われたくないんで。
もちろんプロではないので、夢や目標もバラバラのところはあるし、あまり厳しい要求もチームメイトには言えません。自分も仕事で練習に行けないことがあるし。それよりも1人1人の立場を考えて、何を伝えたらいいのか考えるようにしています。練習も全員が揃わなくて4〜5人の時もあるし、場所も野球場で、隣では女の子のサッカー部が練習していたりします。芝よりも土のほうが状態が良かったりするけれど、やっぱり雨の時の練習は大変。でも、そういう環境も今は楽しめるようになってきた」

●様々な経験を積んだプロ生活
2000年に福岡から始まった小森田友明のプロ生活。そこから大分、山形、神戸、熊本。そしてインドネシアに渡って、北九州がプロ最後の地になった。
「生意気だったと思いますよ、若手時代は。やっぱりJ1や関東でプレーしたかった。大分からの期限付き移籍で山形や神戸でプレーした後、大分には戻れなかったので他クラブのテストやキャンプに参加して。あと少しで契約というところまでいったけどダメで、結局知り合いを通して熊本でプレーすることに決めました。タイミングやきっかけを自分で逃していた」と、当時を懐かしそうに語る。インドネシアでは「キャンプに参加してほしいと連絡があって、行ってみたら現地でサインすることになって。家族には2週間で帰ると話していたのに、パスポートを預けてあったので身動きが取れなくなってしまって…「ここで活躍してJ1に上がる」とだけ伝えて、すぐ電話を切りました。とても騙されたとは言えないし。自分を呼んでくれた監督は1試合でクビになって、次の監督は日本人の自分を嫌っていた。試合にも出られなかったけど、家族には絶好調だよと言っていました。今後どうしようかと思ったけど、もう腹をくくるしかなかった。監督は相変わらず挨拶しても返事もない。だから周りを固めることにしたんです。1人1人の名前を覚えて、プレー1つ1つを褒める。周りの選手の信頼を得ていったら、監督からカップ戦に1試合だけ出してやると言われた。そこで得点を決めて試合に出続けるようになりました。そうしたら、監督からどの選手を使ったらいいか相談を受けるようにまでなって、信頼を勝ち取ったと確信しました。言葉はいらない。ジェスチャーや行動で、その思いを伝えることがいちばん重要だったんですね。環境は最悪(笑)。シャワーは水だし、ユニフォームも靴もボロボロで。でも、その後日本に帰って来たらなんでもプラスに捉えられるようになった。行って良かったです。今は長野聡が行っていて、facebookでやりとりをしている。行く前に『行くなら行け。できるだけ最悪だったと思えるようになって帰ってこい』とだけ伝えました。そのほうが、あとあと生きてくるから」

●2年半の北九州時代
2010年、J2リーグに加入したばかりの北九州にシーズン途中で移籍。
「練習に来てくれとは言われましたが、獲るかどうかはわからないとも言われていました。でも契約を勝ち取る自信はありました。与那城ジョージ監督、(佐野)裕哉さん、桑さん(桑原裕義)、水さん(水原大樹)たちに認めてもらえるように、積極的に輪の中に入って行きました。
試合にも多く出場したのですが、11月に契約更新はしないとクラブに告げられたんです。もっと北九州のためにプレーをしたかったので、慣れないポジションでもプレーしたし、チームのためにとやり続けていたら、フロントの評価を変えることが更新してもらえましたけど」
次の年には三浦泰年監督(現東京V)を招へいし、チームは大きな変貌を遂げた。「泰さんからは『何でできない!何度同じことを言わせるんだ!』といつも怒鳴られていました。言いやすかったからだと思います。若い選手たちからは「自分たちのせいで、いつもすみません」と謝られたけど、気にしたことはなかったです。それよりもできない自分が悔しかった。いつも練習が終わった後に泰さんに居残り練習をお願いして、そのうち呆れられて苦笑いされるようになりましたけど(笑)。失敗を成功に変えたくて、いつも高い壁を求めていました。泰さんは、その壁を作ってくれた。今も感謝しています。昨季チームは勝てない時期もあったけど、雰囲気が悪くなったり不満を口にする選手はいなかった。ベテランが自分の役割を黙々と果たして若い選手もそれを見習い、伸び伸びとプレーもできていたと思う。今までの経験の中でもチームを第一に考えられた、うまくまとまっていたチームでした」

今でもやはり、北九州のことは気になるそうだ。「柱谷幸一新監督の下で、今は苦しいかもしれないけれど、頑張ってほしい。負けたいと思ってプレーしている選手はいない。大幅にメンバーが代わって、簡単に結果が出るほどプロの世界は甘くないし、チームの頑張りだけでは結果は出ない。でも、今をよい経験だと思って、クラブやサポーターにはもっとサポートしていってほしい」
クラブを家族と思っていた彼だからこそ、その言葉には大きな愛情を感じた。

●これからの夢
本人に、12年間のプロ生活を振り返ってもらったが「やっぱりサッカーで成功したかったし、もう1回J1でやりたかった。家族にも周りにもそう言っていたんで、その期待に応えられなかったのは悔しいです。形的には引退ですが、クビになってしまったわけですし。でもまだ人生は続きます。あの時クビにしてくれてありがとうと言えるようになりたい。まだまだこれからです。こうやって長崎に戻って来られたのも何かの縁だと思う。今度は自分が恩返しする番。国体で優勝したいし、子どもたちにサッカーを教えていきたい。技術面だけだはなく、前から興味があったメンタルの部分も。今までお世話になった地域や人たちに恩返しできるように頑張ります。でもまずは仕事をしっかり覚えないと、ですね(笑)」

7月3日に北九州のホーム・本城で行われた長崎の試合で、彼と数秒だけだが再会することができた。5月に会った時よりも凛々しい表情だった。長崎の生活や仕事にも慣れたのだろう。これからの彼の長崎での活躍を、北九州から応援したい。

以上

2013.07.10 Reported by 坂本真
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