先日、川崎Fの選手会が主催した陸前高田市での復興支援活動を取材してきました。東日本大震災の発災から3年目の夏となり、子どもたちはすっかり元気になっていました。また、サッカー教室自体も3回目という事もあり、子どもたちと選手、川崎Fの関係者とがお互いに顔を覚えており、再会を懐かしむところまで交流は進展していました。
そもそも陸前高田市と川崎Fとの交流は、震災発災直後の2011年4月26日にさかのぼります。陸前高田市の小学校に川崎Fが作成し続けている算数ドリルを持ち込み手渡ししたのがきっかけでした。その時、子どもたちの大半は川崎Fの事はもちろん川崎市の事も知りませんでした。そして当時から復興支援活動を先頭に立って牽引してきた天野春果プロモーション部部長も、当時「陸前高田という名前すら知らなかった」という状況がありました。そんな過去を考えると、参加者同士が再会を懐かしむところまでお互いの交流が進んでいる現状は意味があるのだと思います。
震災から1ヶ月半後の訪問時には、まだ辺り一面が流された家屋の残骸でうめつくされ、この世のものとは思えない世界が広がっていました。その絶望的な光景の中に、東北の遅咲きの桜の花が綺麗に咲いていました。凄まじい破壊の痕跡と、可憐な桜の力強さとのコントラストが印象的でした。
あの震災から3年の月日を経て、被災地は一歩ずつ復興の歩みを進めています。瓦礫が一面に広がっていた市街地は、今は更地となって草が生える穏やかな景色に変わっています。被災地の過去の記憶を持たない人間にとって、はじめからそうした平野だったのだと言われればそう納得してしまう状態があります。でも、復興のための事業はこれからも長く続いていきます。
2年前の4月。算数ドリルを受け取った子どもたちの笑顔に接した天野さんはこんな事を言っていました。
「一瞬だけの笑顔で終わらせずに、大事にして継続的な支援をしていきたい」
その言葉を忘れること無く、川崎Fの復興支援活動は続いています。ただ、川崎F・1クラブができる復興支援活動には限界があります。だからこそ、収益金が復興支援活動にも活用されているtotoに、期待したいと思います。外れても外れても、その収益が復興支援活動にも使われているのだと思えると、悔しさも半減します。
嘘です。悔しいです…。
以上
2013.08.16 Reported by 江藤高志(川崎F担当)
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