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[ [ 2005 ゆく年くる年:アルビレックス新潟 ] 大晦日のビッグスワン ] | J's GOAL | フォトニュース

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[ 2005 ゆく年くる年:アルビレックス新潟 ] 大晦日のビッグスワン
新潟にとって今年の最も大きな出来事は反町康治監督の退任だった。2001年、37歳の若さで当時J2の新潟の監督に就任。3年でチームをJ1に押し上げ、J1でも2シーズン、戦い抜いた。間違いなく新潟の一時代を築いた。
退任会見が開かれたのは11月28日。当日、地元の各新聞紙上に報道されていたこともあり、クラブハウスの周辺にはファンの姿がいつも以上に見られた。「監督、本当にやめちゃうんですか」、「何時くらいに外に出てきますか」と逆取材をされた。一様に反町監督に当てた手紙やメッセージをしたためた色紙を手にしていた。
それほど新潟にとって大きな存在だった。「どうせダメだろう」。サッカーに限らず、全国と名のつくスポーツ大会に向かう新潟の代表に対し、新潟県民は残念ながらマイナスの見方をしがちだった。1勝すれば奮闘、下位入賞ならば大健闘。不必要な遠慮が多かった。そんな気質の奥底にある熱さに火をつけたのが、反町監督が率いる新潟だった。常にJ2時代は覇権を争った。J1に上がってからも、老舗クラブ相手に最後まであきらめない戦いぶり。全国向けのメディアに『新潟』の名前が上がる回数が増えた。「やればできる」。観る者をその気にさせていった。反町監督が貫き通した「ひたむきさ」が伝わった成果だった。
もっとも、今季は精神的にも追いつめられていた。思うように上昇しないチームの成績に胃薬を携帯した時期もあった。終盤はカウンター狙いに徹した。その結果が12位。J1参戦2年目を考えれば、及第点とも言えるが、目指していた「スペクタクルなサッカー」からは遠ざかっていた。残留が決まった時点で覚悟は出来ていた。
12月10日の天皇杯5回戦・磐田戦。新潟は敗れ、反町監督の最後の試合になった。試合後の会見で流した涙は、ファンの間で今年の名場面に挙げられている。「あの試合は本当に勝たせたかったんだよ。見ていればわかるだろ」。涙の真意について問うと、照れ笑いを浮かべながらこう答えた。リラックスした表情に、シーズン中の険しさは微塵も残っていなかった。(text by 斎藤慎一郎)

2005年12月31日(土)

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