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2021年7月1日(木) 08:00

【後編】「サッカーを舐めていた」自分を変えた1年間の営業マン生活。【ターニングポイント:深津 康太編】

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【後編】「サッカーを舐めていた」自分を変えた1年間の営業マン生活。【ターニングポイント:深津 康太編】
深津 康太にとっての「ターニングポイント」とは?

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柏時代に犯した若気の至り。「僕は厄介者でした……」。

FC岐阜を契約満了となり、トライアウトに参加した深津 康太に声をかけたのは、FC町田ゼルビアだった。Jリーグ入りを目指していたものの当時はJFLに所属しており、深津に出した条件は、プロではなく、アマチュアとしての契約だった。

「プロサッカー選手ではなく、働きながらサッカーをするという契約でした」
以前の深津であれば、首を縦に振ることはなかったかもしれない。

「働きながらサッカーをやるくらいなら、辞めたほうがいいと思うタイプだったので」
しかし、いざチームがなくなると、プレーしたいという欲求が日に日に増していったという。「働きながらでもサッカーをやりたい」と思った深津は、町田でプレーすることを決めた。

プロ選手ではなくなった深津が始めたのは、太陽光発電の営業だった。

「毎日チラシを持って、一軒一軒、家を回って、『太陽光発電はどうですか?』とやっていましたね。営業成績ですか?全然取れませんでしたよ。『結構です』と、すぐに追い返されることがほとんどでした」

当時の生活サイクルは、次のようなものだった。

「日によって違うんですけど、10時から18時まで仕事をして20時から練習する日と、朝の9時から11時まで練習して、12時から18時まで仕事する日がありました。土日は仕事が休みでしたけど、サッカーの試合があるので、ほとんど休みのない1年でしたね」

契約がなかなか取れず、休みもない日々。肉体的にも精神的にも追い込まれてもおかしくはなかったが、深津はその生活に充実感を覚えていた。そこにはやはりサッカーをプレーできる喜びがあったからに他ならない。

「みんな働きながらサッカーをやっていて、サッカーに対するその情熱に心を動かされましたし、サッカーだけでご飯が食べられることがどれだけ幸せなんだろうと改めて思いました。そういう環境で生活を送るなかで、もし、またプロに戻れたら後悔しないでやろうという想いが芽生えたんです」

深津の営業マン生活は、1年で終わることとなる。翌年から条件付きながら、プロ契約を勝ち取ることができたからだ。しかし、働きながらサッカーを続けたこの1年間の経験こそが、深津にとっての人生を変える大きなターニングポイントとなったのだ。

町田の選手として、もう一度Jリーグでプレーしたい。サッカーと真摯に向き合うようになった深津には、新たなモチベーションが生まれていた。しかし、その想いは別の形で叶うこととなる。町田でプレーして2年目のこと。天皇杯で東京ヴェルディ相手に“ジャイアントキリング”を演じると、そこでのプレーが評価され、東京Vからオファーが届いたのだ。

「(当時の東京V監督の)川勝(良一)さんが目を付けてくれて、オファーをいただきました。嬉しい気持ちがあった一方で、町田でプレーを続けたいという想いもありました。ただ町田はJ2を目指していたなかで、2年連続でライセンスが取れなかった。だからヴェルディからオファーが来た時は、最後のチャンスだと思って移籍を決めたんです」

子どもの頃に好きだったという東京Vで、再びJリーグでプレーするチャンスを得た深津は、加入1年目に17試合・1得点、2年目は32試合に出場して3得点と、主力として活躍した。

「ヴェルディという伝統のあるチームで、しかもパスをつなぐスタイルは初めてだったので、最初は苦労しましたね。ただ、パスの精度だったり、ファーストタッチの技術だったりは、ヴェルディでプレーしたからこそ成長できた部分。周りには経験豊富な選手もいたので、いろんなことが吸収できましたし、毎日が楽しかったです」

ところが深津は、東京Vで2年間プレーしただけで、再び町田に戻ることとなる。町田は前年にJ2に昇格したが結果を出せず、JFLへの降格が決まっていたにも関わらずだ。

「本当は戻る気はなかったんです。だけど、ヴェルディのコーチだった秋田(豊)さんが、町田の監督に就任することになり、その時に『お前を連れていきたい』と熱心に誘ってくれたんです。もう少しヴェルディでやりたいなという気持ちもあったのでかなり迷っていたんですけど、秋田さんのラブコールに負けた感じですね(笑)」

葛藤はあったという。しかし、深津の気持ちを動かしたのは、東京Vで出会った土屋 征夫の姿だった。

「バウルさん(土屋の愛称)には本当にお世話になりましたし、影響を受けました。試合中もそうですけど、ピッチ外のところでも、バウルさんのようになりたいなと。1試合にかける想いが本当にすごかったですし、この人がいなければチームが締まらない。バウルさんは決して饒舌ではないですけど、背中でいろんなことを伝えてくれた。僕も、町田でバウルさんのような存在になりたい。そういう覚悟を持って町田に行きました」

東京Vでは、大きな影響を受けたという土屋 征夫との出会いがあった。
東京Vでは、大きな影響を受けたという土屋 征夫との出会いがあった。

バウルさんのように――。その強い覚悟は、町田に復帰してからの深津のプレーが物語っている。常に主力としてピッチに立ち続け、J3昇格、J2昇格に大きく貢献。30歳を超えても衰えを見せることなく、昨季は36歳にしてキャリアハイの41試合に出場した。

「僕の中にあるのは後悔しないということ。だから、1日1日を大切に生きています。やっぱり、それは働きながらサッカーをしたことが大きかったと思う。今はプロである幸せを改めて感じられていますし、いつ辞めても、いつクビを切られても、やり切ったと思えるようにプレーする。そういう想いでやり続けてきたことが、今につながっているのだと思います」

町田復帰後は主力としてピッチに立ち続け、チームの象徴として君臨している。
町田復帰後は主力としてピッチに立ち続け、チームの象徴として君臨している。

だから、自身のキャリアを振り返った時に後悔はないという。

「もちろん、若い時にもう少し、サッカーのことを考えていればなと思うことはありますけど、過去を否定したくないですから。いろんな場面で下してきた選択は、すべて間違っていなかったと思っています。その経験があったからこそ今がある。お金をたくさん稼いで、J1でバリバリ活躍して、代表選手としてワールドカップに出る。そういう選手が一番の成功例だとは思いますけど、僕みたいに覚悟を持って、コツコツとやり続ければ、この年までプレーできる。そういうサッカー選手もいるんだなと思ってくれれば、嬉しいですね。町田に来て、町田でずっとサッカーをやれているのは、すごく幸せなこと。だから、まったく後悔はありません」

昔を知る人たちは、今の深津を見て驚くという。

「お前、まだサッカーやってるの?とか、だいぶ性格変わったよねって、よく言われます(笑)。自分では分からないですけど、これからも1日1日を大切にしていきたいですし、いつクビを切られても、大丈夫です。もう十分にお腹いっぱいですから」

すでにお腹いっぱいだという深津だが、ひとつだけ野望がある。

「もう1回、J1の景色を見たい気持ちもありますね。そしたら町田で唯一、JFL、J3、J2、J1とすべてのカテゴリーを経験したことになりますから。その景色を見られるのは、長く町田でプレーし続けた僕の特権。J1を目指して、みんなで一体感を持ってやっていきたいと思います」

深津の野望はJ1昇格。町田でJFL、J3、J2、J1と全カテゴリーでプレーすることを夢見ている。
深津の野望はJ1昇格。町田でJFL、J3、J2、J1と全カテゴリーでプレーすることを夢見ている。

深津 康太のプロフィール

 

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