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鈴木唯人(清水エスパルス)の経歴は?出身や身長プロフィールを徹底解説【公式】Jリーグ公式サイト(J.LEAGUE.jp)

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2022年7月12日(火) 12:00

鈴木唯人(清水エスパルス)の経歴は?出身や身長プロフィールを徹底解説【公式】Jリーグ公式サイト(J.LEAGUE.jp)

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鈴木唯人(清水エスパルス)の経歴は?出身や身長プロフィールを徹底解説【公式】Jリーグ公式サイト(J.LEAGUE.jp)
鈴木唯人(清水エスパルス)の経歴は?出身や身長プロフィールを徹底解説

鈴木唯人清水エスパルス)の経歴は?出身や身長プロフィールを徹底解説!


2022年6月、ウズベキスタンで行われたAFC U23アジアカップ。パリオリンピックを見据えて21歳以下の選手を揃えたU-21日本代表は、準々決勝でU-23韓国代表と対戦しました。その試合でひときわ輝いていたのは、鈴木唯人選手でした。23分に直接フリーキックを叩き込んで日本に先制点をもたらすと、65分には鈴木選手のシュートのこぼれを細谷真大が押し込んで追加点を挙げます。80分には再び鈴木選手が左足で素晴らしいゴールを決めて3-0とU-23韓国代表を撃破。「鈴木唯人」の名を、日本サッカー界に知らしめた試合になりました。

<目次>
・鈴木選手のプロフィール
・鈴木選手の幼少期
・鈴木選手の中学校時代
・鈴木選手の高校時代
・これまでの経歴
・日本代表経験について
・まとめ

■鈴木選手のプロフィール

鈴木選手は2001年10月25日、神奈川県三浦郡葉山町出身の21歳。身長175cm・体重70㎏。高い技術を備えた万能型のアタッカーで、清水エスパルスの攻撃を支える若きエースです。

■鈴木選手の幼少期

サッカーとの出会いは、2つ上の兄の影響だったそうです。その兄と一緒に少年団に遊びに行ったことが、彼をサッカーの道へと導きました。すぐに夢中になり、体育館の壁に何度もボールを蹴りこむ日々。そうして自然とキックの力が養われました。

小学校3年生からは、横浜F・マリノスプライマリー追浜(おっぱま)でプレーします。技術を磨いた「そこでのトレーニングがプロへの基礎になった」と本人も振り返ります。しかし、ジュニアユースへの昇格はかなわず、地元の葉山中学校のサッカー部でのプレーを選択しました。

■鈴木選手の中学校時代

それも、兄の影響でした。「お兄ちゃんが先に部活に入っていたのですが、一緒にサッカーをやっていて1対1でも1回も勝てなかったので、レベルが高いということは分かりました」と、神奈川県のトレセンを担当していた加藤歩(すすむ)先生の指導を受けることになります。そこでは「サッカーだけでなく、人間性の部分でも育ててくれた」と語ります。地域の選抜チームには選ばれてはいましたが、全国的にはまだ無名。それでも、目指したのは名門、船橋市立船橋高校でした。加藤先生には「難しい」と言われてもあきらめなかった鈴木選手は、何とか“イチフナ”の練習参加にこぎつけます。「そこで自分のプレーを見せられた」と、晴れて名門サッカー部に入部することができました。

■鈴木選手の高校時代

1年生の時には試合に出場することができない悔しい経験をしています。当時コーチだった波多秀吾先生は、そうした中であっても「ちょっとやそっとではへこたれない負けん気の強さがありました。練習の中でも簡単には言うことは聞かないですし(笑)。でも言うことを聞かないぶん、プレーで結果を残していく」という彼の性格に注目していたようです。

2年生からは、足元の技術の高さを買われてボランチとして試合に出始めると、特徴を発揮。日本高校サッカー選抜、U-18日本代表に選ばれるなど、一気に頭角を現していきます。

鈴木選手が3年生になったとき、前任の朝岡隆蔵(りゅうぞう)監督から引き継いだ波多監督は、彼にエースナンバーである10番を「唯人しかいない」と、即決で与えたそうです。名実ともに“イチフナ”を背負う立場になりましたが、波多監督は「殻に閉じこもるタイプ」という面も感じていたようです。

それは、ある試合のあとに一変します。

「そこまで長く話したことはなかったですけど、『FWをやらせてくれ』と言ってきたことがあったんです」と波多監督は切り出します。県内のライバルである柏レイソルU-18に、1-4と大敗した試合後のことでした。

「(高円宮杯 JFA U-18サッカー)プレミアリーグを戦っていく中で、なかなかチームが勝ちきれない。唯人だけでなく、他の選手たちも本音をさらけだして仲間に対して要求するとか、ぶつかり合うとか、そういったことがない中で、その出来事がありました。その時に感情的になって、『FWをやらせてくれ』と。それを言うからにはやるしかないぞという意味でも、FWで行こうということになりました」

それまでさまざまなポジションを試していましたが、ここでFWとして一本化。「チーム内で最もシュートを打ちながら、なかなか結果を出せない」ということもありましたが、この時期から得点能力を身に付けていきました。

鈴木選手が副キャプテンとして迎えた第98回全国高等学校サッカー選手権大会。市立船橋高校は2回戦からの登場となりました。相手は宮崎代表の日章学園高校。FWとして出場した鈴木選手はゴールを決めることができず、0-0で試合はPK戦に突入。結果6-7で敗れ、彼の高校サッカーは幕を閉じました。

■これまでの経歴

その悔しさを持って、2020年に清水エスパルスに合流。当時チームは、ピーター クラモフスキー監督が就任し、『超攻撃サッカー』を掲げて生まれ変わろうとしていたタイミングでした。そしてプロ生活が始まって約半年でチャンスが回ってきます。明治安田生命J1リーグ第2節の名古屋グランパス戦。鈴木選手は攻撃の核となるトップ下で先発。「シュートを狙えるチャンスがあればどんどん打っていこうという狙いは持っていました」と、積極性を見せて第一歩を踏み出しました。

プロ生活が始まって約半年でデビューの瞬間を迎えました。
プロ生活が始まって約半年でデビューの瞬間を迎えました。

「堂々とすること。1年目ですが、周りにそう思わせないような振る舞いから入ろうと思っていました」

その言葉通り、ピッチ上での出で立ちはルーキーとは思えないものでした。結局、この年は34試合中30試合に出場するなど、チームに欠かせない存在となっていました。ただ、1つだけ課題がありました。それはゴールがなかったことです。

決定機に顔を出すことはできていても、そこから先がなかなか上手くいかない。それは翌シーズンも続いていました。

2021年のJ1第19節・ベガルタ仙台戦。12分にようやく待望の瞬間が訪れます。カウンターからチアゴ サンタナ選手がシュートを放ち、ディフェンスがブロックしたこぼれ球を冷静にゴールに流し込みました。リーグ戦45試合目にして待望の初ゴールでした。

待望のプロ初ゴールは2021年のJ1第19節・ベガルタ仙台戦でした。
待望のプロ初ゴールは2021年のJ1第19節・ベガルタ仙台戦でした。

その裏には、こんなことがあったそうです。試合前、イバン パランコヘッドコーチから、「40試合以上に出ていて0点。上に行きたいんだったら結果を残さないと次はないぞ」と厳しい言葉をかけられていたと明かします。プロとして崖っぷちといっていい状況。そこを、自らの力で打開していったのです。

■日本代表経験について

最終的に、2年目のシーズンは33試合に出場し2得点。転機が訪れたのは、そのシーズンが終わったあとでした。2022年1月5日、キリンチャレンジカップ ウズベキスタン代表戦に向けた日本代表に選出されたのです。試合は新型コロナウイルスの影響で中止となりましたが、「サッカーに対する姿勢に刺激を受けたし、ステップアップの道というか、新たな場所が見えた」と、日本のトップ選手たちとプレーし刺激を受けて帰ってきました。当時の平岡宏章監督は、「一つ成長したのかなと感じました。意識が高くなって帰ってきて、今年は行くんじゃないかという期待をさせてくれます」と、その変化を感じ取っていたようです。

AFC U23アジアカップの韓国戦で鮮烈な2ゴールを記録するなど、成長を続けています。
AFC U23アジアカップの韓国戦で鮮烈な2ゴールを記録するなど、成長を続けています。

そうして迎えた今季のリーグ開幕戦は北海道コンサドーレ札幌とのホームゲームでした。1点ビハインドの中、原輝綺(てるき)選手の縦パスをヒールで前に流し、豪快なシュートを叩き込んで、チームに貴重な勝点をもたらしました。続くジュビロ磐田との静岡ダービーでも、ハーフウェーライン付近からスピードを生かしてドリブルで持ち込み、GKとの1対1を制し2試合連続ゴール。エスパルスの真のエースへ、成長を遂げようとしています。

■まとめ

「指導者に恵まれてきた」。鈴木選手は、今でも感謝の気持ちを忘れません。その時々で彼と出会い、二人三脚で歩んできた全ての人の期待を背負って、またさらに大きな選手へ。これからも鈴木唯人選手から目を離せません。

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