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2022年7月12日(火) 13:00

西村拓真(横浜F・マリノス)の経歴は?出身や身長プロフィールを徹底解説【公式】Jリーグ公式サイト(J.LEAGUE.jp)

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西村拓真(横浜F・マリノス)の経歴は?出身や身長プロフィールを徹底解説【公式】Jリーグ公式サイト(J.LEAGUE.jp)
西村拓真(横浜F・マリノス)の経歴は?出身や身長プロフィールを徹底解説

西村拓真(横浜F・マリノス)の経歴は?出身や身長プロフィールを徹底解説!

 

今季、横浜F・マリノスにおいてトップ下の位置で新境地を拓き、EAFF E-1 サッカー選手権 2022に臨む日本代表メンバーに選出された西村拓真選手について紹介します。

<目次>
・西村選手のプロフィール
・西村選手の小学校・中学校時代
・西村選手の高校時代
・これまでの経歴
・まとめ

■西村選手のプロフィール

西村選手は1996年10月22日生まれの現在25歳。愛知県名古屋市の出身です。身長178cm・体重76kg。2015年にベガルタ仙台でプロのキャリアをスタートさせ、海外クラブでのプレー経験もあるストライカーです。

■西村選手の小学校・中学校時代

3歳上のお兄さんが名古屋市東部を中心に活動する『名東(めいとう)クラブ』に通っていた影響で、5歳からサッカーを始めました。小・中学校の9年間、名東クラブ一筋でプレーしました。

ただ、当時は将来を嘱望されるほどの選手ではありませんでした。

「小学生時代は周りのチームメートより少し上手なほうでしたが、中学生時代は成長期も重なって体のバランスを崩してしまい、まったくでした」

主にトップ下でプレーしていた中学時代、愛知県選抜に選ばれた経験はありますが、目立った活躍はできなかったといいます。実際、中学3年時にはいくつかJクラブユースのテストを受けましたが、加入には至りませんでした。

■西村選手の高校時代

高校進学時、西村家のある教育方針が彼の将来を切り拓くきっかけになります。

「両親からは常に『高校は県外に出ないといけないよ』と言われていました。もちろん自分も出たかったですし、ライバル校の多い愛知県だと、全国大会に出場するのが難しいという理由もありました」

“かわいい子には旅をさせよ”――。西村選手のご両親はあえて3人兄弟の末っ子だった西村選手に、愛知県外の進学先を勧め、親元を離れることで自立心を育ませようとしたのかもしれません。

進学先に決まったのが、名門・富山第一高校でした。当時、高校年代の最高峰リーグである、高円宮杯JFAU-18プレミアリーグWESTに所属していた、全国屈指の強豪校です。

西村選手の父方の祖母宅から通えるメリットもあり、“北陸の雄”の門を叩くことになります。すると、「サッカーに向き合えた」という高校の3年間が西村選手を大きく成長させます。

名東クラブの練習環境にはゴールがなく、いつもコーンを使って練習していた西村選手。富山第一高のグラウンドに、ネットの張られたサッカーゴールがあったことが何よりもうれしかったそうで、毎日シュート練習に明け暮れシュート精度を磨いていきます。そして、高校時代の飛躍を支えたのが当時の大塚一朗監督(現・モンゴル代表監督)でした。

中学時代にプレーしていたトップ下だけでなく、サイドハーフやボランチ、FWとさまざまなポジションで起用されたことで、西村選手のプレーの幅が大きく広がると、それに比例してチームの結果もついてきました。高校2年時の第92回全国高等学校サッカー選手権大会では、富山県勢初となる全国制覇の偉業を達成し、西村選手も大会優秀選手に選ばれました。

富山第一高では高校2年時に全国高等学校サッカー選手権大会優勝も経験しました。(左から2番目が西村選手)
富山第一高では高校2年時に全国高等学校サッカー選手権大会優勝も経験しました。(左から2番目が西村選手)

ところが、西村選手が主将の重責を担った高校3年時は挫折を味わいます。インターハイ、全国高校選手権ともに県予選で敗退しただけでなく、高円宮杯 JFA U-18プレミアリーグWESTでは2勝を挙げるにとどまり、高円宮杯JFAプリンスリーグ北信越へ降格してしまいます。

「優勝した時は喜んでもらえましたが、3年時は全国大会に出られず、天国と地獄を味わいました。特にプリンスリーグに降格させてしまったことは申し訳なく思っています」

高校卒業後の進路も決まらず、2014年12月、高校3年生の師走を迎えた西村選手は、自らの力でプロへの道をつかみとります。

大塚監督の口添えもあって、ベガルタ仙台の加入テストに臨みましたが、降雪の影響でゲーム形式の練習ができず、シュート練習が中心のメニューに。その中、非常に高いシュート決定率を見せたのです。すると、その帰りの新幹線の車中でクラブから連絡を受け、獲得の意向が伝えられます。

「大学への進学先もなく、サッカーをする場所を探していた状況だったので、とてもうれしかったのを覚えています」

もし、富山第一高校がその年の全国高校選手権に出場が決まっていたら、主将が個人的な理由でチームを離れ、加入テストを受けられていたのかは分かりません。彼にとっては、運命的なタイミングだったのでしょう。

■これまでの経歴

そうして高卒でベガルタ仙台に加入した西村選手でしたが、プロ2年目までは出場機会に恵まれませんでした。転機は3年目。2017年に、出場機会を大きく増やします。翌2018年には、夏場までにJ1 リーグ24試合に出場し、11ゴールとキャリアハイを記録。その活躍が認められて、ロシアの強豪、CSKAモスクワから獲得オファーが届きました。

プロ3年目の2017年が転機となり、出場機会を増やしました。
プロ3年目の2017年が転機となり、出場機会を増やしました。

「ずっと海外志向はあったので、早く行きたい気持ちがありました。オファーを受け、すぐに決断しました」

2018年には11ゴールを記録し、ロシアの強豪、CSKAモスクワへと旅立ちました。
2018年には11ゴールを記録し、ロシアの強豪、CSKAモスクワへと旅立ちました。

夢だった海外挑戦の切符を手に、意気揚々とロシアに飛び立ちましたが、現実は厳しいものでした。2018―19シーズンこそ、リーグ戦で2得点、UEFAチャンピオンズリーグにも2試合出場しましたが、大きな爪痕は残せず。そして、2020年はじめには、ポルトガルのポルティモネンセに活躍の場を求めます。しかしその年は、新型コロナウイルスの感染拡大も重なり、出場機会を得られず、日本への帰国を決断しました。

「とても悔しい経験でした。だけど、海外はいい場所でした。スピード感、体の違い、文化・環境すべてにおいて違う中、新しい世界に触れて価値観が広がりましたし、狭い世界で生きてきたんだなと、痛感しました」

日本に帰国後、古巣のベガルタ仙台に再加入。2021年にはチームが残留争いに巻き込まれる中、チーム最多の6得点を奪います。それでもチームは21位に沈み、13年ぶりのJ2降格が決まってしまいました。

そして、次に西村選手が挑戦の場に選んだのが横浜F・マリノス。攻守において、常に高強度を求める“アタッキングフットボール”の環境に身を置くことで、成長できると考えたのです。加入から半年が経ち、西村選手はプロでは経験のなかったトップ下で覚醒。“新しい西村”を見せ始めています。

2022年に加入した横浜FMではトップ下として覚醒。首位のチームをけん引する活躍を見せています。
2022年に加入した横浜FMではトップ下として覚醒。首位のチームをけん引する活躍を見せています。

実力については、「心底足りていないと感じます」と語る一方、「自分にしかない運動量や2列目の飛び出しでプラスアルファになっている」と手ごたえも感じています。

いまの活躍が続けば、幼い頃からの夢である日本代表入りも見えてきそうですが……。

「それは考えたくありません。F・マリノスに集中することが自分の成長につながり、そうすることで代表は見えてくるはずだからです」

■まとめ

たゆまぬ努力を重ね、J1首位を走る横浜F・マリノスの中心選手として活躍するまでに力をつけた西村選手ですが、日々の鍛錬の積み重ねが成功の近道であるという信条は変わりません。その先にこそ、日本代表の初選出、さらには欧州再挑戦、そして、憧れのブンデスリーガの舞台につながると信じているのです。

E-1選手権代表メンバーはこちら

同じくE-1選手権代表選手に選出された
細谷真大選手(柏レイソル)のプロフィールはこちら
満田誠選手(サンフレッチェ広島)のプロフィールはこちら

 

 

 

 

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